税理士もりりのひとりごと

税理士もりりがぶつぶつと日ごろの出来事についてひとりごとを綴っていきます





  税理士もりりのひとりごとのナビゲーター   トップページ > 日記・エッセイ・コラム > 中3に英語面接試験を導入、無意味ですね。  

中3に英語面接試験を導入、無意味ですね。

2016 - 02/03 [Wed] - 10:51

新聞を読んでいますと、文科省が中学3年生への英語による10分程度の面接テスト導入を検討しているとのことでした。学校の負担を考えて回数は3年に1回とし、評価は学校の先生が行うのだとか。

また無意味なことをやりますね、文科省(笑)。いや、何がしたいんですか、このテストで。きっと文科省の目論見としては、3年に1回行うことで英語の習熟度の変化を見ようということなのでしょう。しかしそのことに意味はあるんでしょうか?

しかもその面接を行って生徒を評価するのは普通の学校の英語教師。ええ、下手したら英語が喋れないで、日本語しか話すことができない日本人の英語教師が生徒と英語で面談して生徒の英語のレベルを評価するのだそうです。もう、笑わせんなよ、というか、落語のようなアイデアですね(笑)。

昨日くらいにも、日本の高校生の英語レベルは非常に低く、平均的なレベルは中3程度、と報道されていました。それを受けての文科省の方針決定なのかどうかは知りませんけれども、これだけ全世界的に英語が必要とされている社会になってきているにもかかわらず、日本の学校教育における英語教育のレベルは一向に低いままです。

このブログに何回も書いていますように、その理由は教える英語教師の英語のレベルが著しく低いのと、教えているカリキュラムの内容が100年以上前の明治開国時代のころとほとんど変わっていないこと、そして重箱の隅をつつくような無意味な内容を問うだけでなんの役にも立たない大学入試英語に問題があります。

一つ目の英語教師のレベルについては、もちろん英語の先生になれるくらいの人ですから英語教師は英単語や英文法はよく知っています。そして日本の「受験英語」に対する対策法も熟知しています。しかし彼らのほとんどは英語が喋れません。きっと海外に1人で出かけてトラブルに巻き込まれても、自分一人で解決できる会話レベルを身に着けていないでしょう。

こんな教師が生徒の英語面接を行って、何の意味があるんでしょう?何を聞いて、何を答えさせて、そしてその答えを聞いた先生はその生徒の会話レベルを適切に評価できるんですか?というより、英語が喋れない先生に生徒を評価させることになんの意味があるのでしょうか?そこで評価させれば、その後生徒の英語レベルはアップするんでしょうか?

意味ないでしょ、そんなの。なんで英語を勉強させるのに、ネイティブが教えないのか、本当に意味が分からないです。最低でも海外に1年以上は暮らしたことがある日本人英語教師でなければ意味がないです。文法と単語力だけで世界中の言語が成立していると思うのは本当に大間違いで、日本語だって文法的には支離滅裂な文章を日常的に使っているのに、なんで英語だけは文法絶対主義で外国でも通じる、と信じているのか意味が分からないです。

文法絶対主義は、書物に書かれていた英語を読むために使うだけのものなんです、基本的に。文章を読むためなら、単語力と文法力さえあればそこそこいけるんです。でもしょせんそれだけなんです。実際の日常会話では、みんなが本を読みながら会話してるわけじゃありません。だったらそういう「生きた英語」を学べる機会を生徒に教えてあげないと、英語教育に費やす時間が無駄にしかなりません。

それから二番目。教えているカリキュラムが明治時代と変わらないことについては、先ほど書いたことと重複しますが、そのころは日本にやってくる外国人は極めて少なく、一般の日本人にとっての英語は「英語で書かれた書物を解読する」ための技術論だったのです。だから端から会話を行うことなど頭の片隅にもなく、単語の知識と文法だけを頼って、さも暗号文章を解読するかの如くに英語の書物が読みこなせるようになれればよいことが、英語教育の目的だったのです。

だから「良い英語教師」は「むつかしい内容の英語の文章が読める人」だったわけで、それはすなわちどれだけむつかしい単語の意味を知っているか、ということと、例外も含めたより多くの文法を知っているか、というだけのこと。それはまるでドラクエで多くの呪文の意味を知っていて、裏技をマスターしている人が早くゲームを終わらせるのと同じような話です。

でもそんなドラクエを早く終わらせる方法を知っていてもたいして世の中で役に立たないのと同じように、むつかしい学術書を読みこなせる英語も現代の実社会ではほとんど役には立たないんです。でもそのことを誰も世に問おうとしないし、もちろん文科省をそこを見直そうとはしません。福沢諭吉にどれほど酔心している役人が多いのか知りませんが、日本の英語カリキュラムは基本的に100年以上全く変わっていません。

そして3番目。「難解な書物を読めることが英語をマスターしていること」という時代があまりに長すぎたので、そこから生まれたのが、「難しい呪文かパズルを解読するがごとき難解な英語文章を読みこなす能力を問う大学入試英語」という特異な分野ですね。この試験問題を、英語をしゃべることができない大学の英語教師が作っているのですから、またお笑いです。本当に笑えないくらい、お笑いです(笑)。

彼らはいかに一般の人たちが分からないような単語を生徒に問い、そしてどうやって日本語に訳せばよいのかわからないような難解な文章を出題することに生きがいを感じているような連中ですから、本当にタチが悪い。しかも高校教師や塾の先生たちも、そんな意味不明な文章が大学試験に出ることを知っているので、その対策だけを授業で行おうとするため、これらの大学教授たちの悪影響は非常に広範囲に及びます。

そんな世の中の何の役にも立たない英語を一生懸命学ばなければならない生徒たちの身にもなってくださいよ。英語なんて今の社会に出れば一番必要とされる能力の一つであるといっても過言ではないのに、新入社員たちはほぼ例外なく会社に入ってからわざわざ英会話クラスに通って英語を一から再マスターする羽目に遭っています。それが本人にとっても、そして社会にとってもどれほどコストと時間が無駄であるかわかっているのでしょうか?

文科省は実社会を見て英語教育の方針を決定しているとはとても思えないです。英語なんて、大学卒業するまでにほとんどマスターしてなくて、TOEICで200点ちょっとしか点が取れなかったような人でも、英会話を教えてもらい、そして現地で英語を使って仕事をしていればすぐにマスターできる程度のものなんです。むつかしいものでも何でもないんですよ。

英語を難しいものにしているのは、日本の英語教育のせいなんです、ほんとに。だって赤ちゃんだって3歳にもなればそれなりの英語が喋れるのですから、英語が本来むつかしいはずはないんです。要は教え方が悪いだけなんです。

とにかくまず最初にすべきことは、英語の授業は「英語が喋れる」先生に行ってもらうこと、ですね。ネイティブの外国人が一番ですが、それができなければ流ちょうに英語が喋れる日本人でもよいと思います。言葉なのですから、まずは何をさておいても会話ですよ。会話のない英語なんて学んだって意味ないです、ほとんど。

それと大学入試が英語教育の最大のガンですから、大学入試から英語は除くこと。その代わり英語の習熟度は一般的なテストのスコアで評価すれば十分ではないでしょうか。TOEIC、TOEFL、G-MATなど、いろいろな評価テストが世の中にはあるのですから、その結果で代替えすれば十分だと思いますね。

もうとにかく、今回報道された文科省の新たな中学生を対象とした英語面談の記事を読んでいて、本当に日本の英語教育は相変わらずクソだな、と強く感じざるを得なかったですね。くだらない英語の授業を行うことは社会にとって大きな損失なんですから、真剣に現実社会に即した英語教育を早急に導入してもらえるように願いたいですね。

この「すぐに変われない」という問題点は、スピードの速い国際社会の中にあって、日本の最大の弱点だと思いますね。変わらなければならない時には、大きな犠牲と損失を払ってでも変わることを選択しなければならないと思いますね。それを「いや、早くやりすぎると悪影響が大きすぎる。それよりも少しずつ変えていったほうが痛みが少ない」なんて思ってゆっくりやってるとシャープみたいになっちゃうんですよ、本当に。

変わるときはスパッと変わってしまったほうが、結果的にはよい結果をもたらすことっていうのも世の中にはあるんです。なんでものんびりやってちゃだめですよ、ほんとに。これは日本社会の本当に悪いところです。変えるのなら、明日から変える、そういうことも世の中には時として必要なんです。

関連記事

トラックバック

http://moriri12345.blog13.fc2.com/tb.php/2685-977ed1c5

 | HOME | 






プロフィール

もりり

Author:もりり
当ブログにお越しいただきありがとうございます、税理士のもりりです。のんびりと、時々辛辣に日々感じたいろいろなことを自由に書いていきたいと思います。

最新記事

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

QRコード