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「表現の自由」もやりすぎればただの「暴力」

2016 - 01/05 [Tue] - 10:40

以前にモハマドを揶揄する風刺画を描いてイスラム教徒たちの怒りを買い、過激派たちの襲撃を受けて死傷者まで出したフランスの三流新聞社が、事件から一年経って再びイスラム教に喧嘩を売るような表紙を掲載しているのだとか。

銃担いだ血まみれの「神」が表紙、仏風刺紙 襲撃から1年で特別号


この出版社たちは「テロや暴力にも屈しないで自分たちの意見を報道し続けよう。表現の自由を守る!」ということを世の中にアピールしたいつもりなのでしょうけど、こんなの誰がどうみたって単なる金儲け主義ですよね。「報道の自由」を利用した売名行為、拝金主義ですよ。

「報道の自由」という表現も、ある一方にだけひたすら偏っていて、自らその偏りを修正しようともしないで凝り固まったことをわざと誇示するような場合に使われると、ただただ不愉快なだけですよね。

もうこのフランスの三流紙がやってることなんて表現の自由ではなくて、単なるイスラム教と教徒に対する差別であって、ヘイトスピーチとやってることはなんら変わらないです。キリスト教徒から見た価値観のみに基づいたものでとてもフェアな考えであるとは思えません。自由が行きすぎると差別になる良い例ですよね。

「報道の自由」とは、あくまで中立な立場から正しくない方向に向かっている物事を指摘して批判する場合に容認される行為です。報道する側が明らかに中立でなく、ある一方のみの立場から意見を主張する場合、それは「報道の自由」でもなんでもなく、それはただの思い込み、無知、差別、言葉の暴力、ペンの暴力です。

朝日新聞や毎日新聞などが時として批判されるのも同じ理由です。政権や世の中を批判することは民主主義にとって必要なことですが、物事を中立な立場から見たのではなく、ある偏った視点から一方的に悪意を持って政治や権力、世の中の出来事などを批判しているだけなら、それはただ単に偏った思想を読者に広め、そして世の中をを扇動しようとしているだけです。

フランスの三流紙がやってることなんて、「主義主張の自由」を逆手にとって国会前で安倍政権に対して罵詈雑言を並び立てていただけのデモ隊と一緒ですよ。そんなのは民主主義でも、信教の自由でも、集会の自由でも、思想の自由でもなんでもなく、ただ単にある一方に極端に凝り固まった思想に基づいて、自分たちと異なる考えをしている人たちを差別し、罵倒し、言葉の暴力を加えているだけです。

もちろん、フランスの三流紙にしろ、日本の過激派組織にしろ、そういう行為を行うことは確かに「表現の自由」として法的に認められる寛容さも世の中には必要なのかもしれません。しかし彼らの主張が認められるのならば、そういった差別的な表現や行為を行う者に対して批判を行うことも、これまた「表現の自由」の名の下において許される社会であるべきですよね?それが「フェア」と呼ばれることですよね?

自分たちの価値観のみに基づいて他宗教を揶揄したり、政府が行うことを罵倒したりすることが民主主義や自由主義だと勘違いする世の中であってはいけないと思いますね。それはただの差別・暴力なのですから、行きすぎた行為をなんでもかんでも「自由」というオールマイティーな単語の下で許すということは少し違うんじゃないかと感じます。

まあ、誰しも自分の「自由」は強く主張し、他人の「自由」は批判しがちなものです。しかしフランスには自らの力で、この行きすぎて偏った「自由」に何らかの修正を加えてくれることを願いたいですね。

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