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被爆者の反省、反戦の誓い

2015 - 07/16 [Thu] - 20:01

昨日ラジオを聴いておりますと、今年の広島での平和記念式典への出席について、まだアメリカが正式に参加の返答をしてきていないのだとか。まあ、アメリカからすればいくら戦争の相手国だったとはいえ、自分が落とした原爆で少なくとも十数万人を殺した件について、相手国が記念日にしてそこへ招待されているわけですから、参加をする際の心中はいつも複雑でしょう。

で、この広島に原爆が落とされた日の集会では、直接の被害者、そして今の中高生くらいの人たちも含めて、全員が「戦争をしてはいけません。二度と過ちを犯してはなりません」と参加者に向かって語りかけるのですが、それは全くその通りだと思います。戦争はしてはいけません、他国から侵略されない限りにおいては絶対に。

でも、終戦記念日や平和記念日が訪れるたびに、いつも不思議に思うのは「日本人はなぜ先の戦争で多くの人が犠牲になった理由をなんでもかんでも『日本人自身の過ち』に見出そうとするのだろうか?」ということですね。確かに先の大戦で多くの日本人が犠牲になった大きな理由の一つは、日本人自身が独善的に戦争を仕掛けたことにあるのは間違いない事実なのでしょう。

しかし、こと原爆による被害に関してはそれだけが理由でしょうか?原爆で広島と長崎を合わせて数十万人が直接的に犠牲になり、いまだに原爆症の被害を受け続けている方たちが苦しんでおられる理由は、日本にだけあるのでしょうか?日本が悪かったから原爆が落とされて、それ以外には全く理由はないのでしょうか?あんな非人道的な大量破壊兵器を実験的に落としたアメリカには何の責めもないというのでしょうか?

私はそれは違うと思うんですよね。当時の日本軍・日本政府の判断や行動には誤ったところが多々あったとは思いますが、だからといって大量破壊兵器で多くの日本の一般人が一度に殺される必要性は無かったと思いますね。あんな人間としての尊厳もクソもないようなメチャクチャでヒドい殺され方をして、アメリカに対して怒りを感じなかったほうがよほど不思議なんですよね。

いくら戦後の情報統制、思想統制によって原爆を原因とする反米意識を持たないように当時の日本人を教育したとしても、いま戦後70年が経ち、様々な側面から第二次大戦や原爆投下に関する検証が行われてもよいはずです。そして、その中においては「やはりあのときのアメリカによる原爆投下の判断は間違っていた。いくら戦争を早く終わらせる必要があったという大義名分があったとしても、原爆だけは投下すべきではなかった。そのことについてはアメリカも謙虚に受け止め、謝罪すべきところは謝罪すべきだ」という意見が出てきてもよいと思うのです。

しかしなぜか平和記念式典ではそんな話は一言も出てこず、日本人自身の反省の弁しか語られることがありません。マスコミなどでも表だってそのような論調で語られることは決してありません。でも、毎年この平和記念式典の開催に関しては原爆を落とした当事者であるアメリカ側の出席が取り沙汰されていますよね?そして駐日大使や米大統領が参列することがいつも期待されていますよね?

それって、実は多くの日本人が無言ながらに、原爆を落とした当事者であるアメリカに広島、長崎の原爆投下を悲しむ式典に参加して、そして「原爆投下はやり過ぎだった。広島と長崎の市民の皆様、そして広く日本国民に対して遺憾の意を示したい」と言ってほしい、と心のどこかで願っているでしょう?

もしその反省の一言がアメリカ大統領の口から発せられることがあれば、多くの日本人、とりわけことあるごとに自責の言葉しか発することが許されなかった広島と長崎の市民たちは戦後70年心の中に持ち続けたつかえのようなものを、ようやく下ろすことができるのかも知れません。

本当は多くの日本人だって、心のどこかで「原爆投下についてアメリカに謝って欲しい」と思っているはずなのです。そうでなければ平和記念式典へのアメリカ政府関係者の参加がいちいちニュースで取り上げられるはずがないのです。そして参加するのであれば、いつかその席で公式に謝罪の弁を発して欲しいと願っているはずなのです。

日本人は何と奥ゆかしく、そして悲しい国民なのでしょう。ここまで自分達にひどいことをしたアメリカという国に対して屈折した感情を持っているなんて。本当はいつかどこかでアメリカに謝罪して欲しいと願いながら、しかしそれは決して直接的に表明せず、ひたすら原爆投下の責任は日本人自身のせいであるという表現に置き換えてアメリカ側に反省の心を持つように伝え続けてきているわけですからね。

でもその日本国民の深層心理はアメリカ政府だって痛いくらい分かっているからこそ、絶対に広島や長崎に対して謝罪を行わないんでしょうね。だってひとたび謝ってしまったら、あのときアメリカが行った原爆投下の判断が誤っていたと認めることになり、戦争を終結させて日本を降伏に導いたことまで自ら否定することにつながりかねないからです。

しかしもし仮にいつの日かアメリカが「あのときの我々の原爆投下の判断は間違っていた」と一言でも言ってくれることがあるとすれば、その時初めて理不尽な原爆投下によって亡くなった犠牲者の皆さんの魂は鎮められ、そして長く日本人の心の奥底にしまい込まれていた原爆投下に対する屈折した怒りの感情は解き放たれるような気がするんです。

そうなのかもしれませんね、毎年平和記念式典で我々が繰り返し耳にする「二度と戦争はしてはなりません。私たちの反省の気持ちを込めて」という言葉の真意は、「原爆を私たちに落としたアメリカにも不戦と反省の心を持って欲しい。そしてアメリカがいつの日か私たちに対して謝罪を行ってくれるまで、私たちは永久に『私たち自身に対する反省と不戦の誓い』という形を借りて、あのときのアメリカの非人道的行為を非難し続ける」という意味が込められているのかも知れませんね。

そうであるならば、毎年繰り返し述べられる「反戦と平和への誓い」そして「自省と自責の念」は、単なる日本人自身の反省を意味するだけでなく、実は大変深い怒りと抗議の意味が込められているのかも知れませんね。決して面と向かってアメリカを批判することが許されない中で、戦後70年も暗にアメリカを非難し続け、いつの日かアメリカが謝罪してくれるまでひたすら「自責の念」を発し続ける広島と長崎の方たちの悲しすぎる心情を思えば、もう涙が出ますね・・。

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