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キリスト教自由民主主義的価値観を押し付けてないか?

2015 - 01/11 [Sun] - 01:30

ここ数日、フランスで起きたイスラム過激派による新聞社に対するテロ行為に端を発した事件に関する報道にあふれています。事件の内容は皆さん既にニュースなどでよくご存知だと思いますが、イスラム教に対して好意的でない風刺画を書いた漫画家と、それを掲載した新聞社がイスラム系過激派の攻撃を受け、そしてその後犯人たちが別の場所に立てこもって銃撃戦になり、犯人たちは銃殺、人質にも犠牲者が出た、というものです。

この事件が起きてから、フランス国内のみならず世界各地でも「言論と表現の自由を断固として守ろう」「暴力に訴えることはいかなる理由があっても許されない」的な集会が自然発生的に行われているようです。確かに言論と表現の自由は民主主義の根幹ですし、暴力で不満を表すことは行なうべきではないと私も考えますが、「しかし」と思うこともこの事件では感じるのです。

新聞記者、ジャーナリストたちは、世界でも日本でも、言論と表現の自由の名の下に、自分たちの主張を新聞や雑誌、そしてテレビなどのマスメディアを通じて世間に報道します。しかし、彼らの主張がいつでも正しい考えだとは限らず、また異なる宗教や思想のある国や地域においては、必ずしも好意的に受け入れられるとも限りません。

一方で去年大きな問題となった朝日新聞社のように、誤った報道を行ってもそれを長年訂正せず、はっきり言って悪意を持って世論をコントロールしようとしているとしか思えない報道機関が存在していることも事実です。そして今回のフランスの事件のように、イスラム教を揶揄するような風刺画を描いたり、イスラム教を批判するような記事を描いた場合、そんな記事を見たイスラム教徒が大変不愉快になることがあっても当然だとも思うのです。

ヨーロッパのマスメディアなどは、しょせんキリスト教的思想に基づいて、その価値観から生じた自由民主主義をベースにして報道を行いますが、果たしてそれが全世界的に常に「正しい」意見といえるのでしょうか?その意見は、ただ単にキリスト教的自由民主主義の思想を全世界に押し付けようとしているだけなのではないでしょうか?

私は時々この点を大いに懸念します。「なぜ欧米の価値観だけが先進的であるべきものになりうるのか?」という疑問を常に持っています。そして同時に、マスメディアの記者たちがなんでも自分たちの価値観に基づいて好きなことを書いても許される(=つまり報道と表現の自由)と考えているとしたら、「それは間違っている」とも思うのです。それもまさにそのマスメディアの思想の押し付けであって、それが世界において常に普遍的に受け入れられる意見であるとは限らないからです。そしてマスメディアの記者たちが、果たして本当に客観的・普遍的な立場から「正しい姿勢」で情報発信を行っているかどうか、甚だ疑問に感じるのです。

今回の事件だって、まさにそうです。確かに暴力で不満を表明するのは間違っているとは思いますが、しかしイスラム教をバカにしようとしている新聞社や風刺漫画家に対して、イスラム教徒が不愉快に思い、そして一部の過激なイスラム教徒が暴力で不満を表明しただけのことなんですよね。逆に言えば、なぜこの新聞社はイスラム教徒が自分たちの記事や漫画を見た時のことを想像しなかったのだろうか、と思うのです。

つまりそこに「キリスト教的民主主義こそ最善」と考えている人たちの驕りと、自分たちの価値観の押し付けを見て取れるのです。なぜキリスト教だけが世界で最も良い宗教だと言い切れるのか、そして西欧的価値観に基づく自由民主主義だけが世界で最もすばらしい価値観だと言い切れるのか。なぜそれと異なる価値観を持つことを許されないのか。その点については私達日本人も客観的に考えてみる必要があります。

その価値観を押し付けようとした結果、過激なイスラム教徒たちによって事件が引き起こされた、そう考えることもできないでしょうか?事件後に起こった「言論と表現の自由を守ろう」という意見、確かに正しいですが、しかし、その「言論と表現の自由」に基づいた記事や報道が世界中のすべての人にとって受け入れられる内容であるかどうかは別問題です。ある価値観に基づいて報道を行った場合、別の価値観の人を不愉快にさせるリスクというものは常に付いて回るものです。

「言論と表現の自由」を謳う以上、当然そう主張する人たちには自分たちと異なる価値観を持った人たちの「言論と表現の自由」を認める度量を持つことが要求されますが、果たして西欧で「言論と表現の自由」を主張する人たちにその心持ちがあるでしょうか?自分たちの「キリスト教的自由民主主義」に基づいた価値観だけを善として、それ以外を悪とみなして排除しようとしているところはないでしょうか?マスメディアで自分の意見を記事にするという行為が、自分と異なる価値観を持っている人たちから批判され、時として攻撃を受けるリスクを伴っているのだ、という自覚を持って報道に携わっている人が果たしてどれだけいるでしょうか?

「言論と表現の自由」「ペンは剣よりも強し」といいますが、そこに報道を行なう側の勘違い、驕りはないでしょうか?そもそも報道を行う人達の意見だって、常に正しいとはいえないことだってありえるのです。報道を行なう側に「言論と表現の自由」があるのであれば、それを目にした一般市民にもそれを批判する「言論と表現の自由」、そして時としてその言葉の暴力に反対を表明する権利があってもしかるべきですよね?

今回の事件のそもそもの発端を見ていても、そしてその後の「言論と表現の自由を守ろう!」的な草の根運動の広がりを見ていても、なんかちょっと違うような気もしてくるのです。何度も書きますが、だからといって暴力に訴えてもイイ、とは言いません。しかしキリスト教だってかつては布教のために価値観の異なる異教徒たちを攻撃し、殺戮を行い、その結果力によって支配を行いながらその拡大を図ってきたのは紛れもない歴史的事実。

そういう歴史的経緯のあるキリスト教的思想、そしてそれに基づいている自由民主主義思想が全世界においても普遍的な価値観・思想たりうるものか、という点については私自身は疑問を感じることが少なくありません。「キリスト教とその思想に基づいた自由民主主義の立場から、自分たちと異なるものを批判することは許されるが、その逆は一切許さない」という報道姿勢や人々の価値観が果たして正しいものなのでしょうか?それは見方によってはヒドい「差別」につながるのではないのでしょうか?

ぜひみなさんもご自身の価値観に基づいて今回のフランスでの事件を是非一度考えてみていただいてはどうかと思います。私自身は日本人ですから、仏教的、神道的、日本的自由民主主義に基づいた価値観がしっくりきますし、それがキリスト教的なものと違っていたとしても、それを他人からとやかく言われる筋合いなどないし、なぜキリスト教だけが最善と言い切れるのか?という気はしています。

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