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「和」ばかりを重視していても・・。

2013 - 04/29 [Mon] - 00:48

 日本の社会って、「和」の社会と呼ばれますが、確かに「協調」を重んじるところはありますよね。私自身、それはそれでとても居心地が良い社会だと思いますし、トラブルを未然に防ぐ意味でも、また、お互いのレベルが高くなければできないことなので、素晴らしいことだと思っています。

 ただ、それだけを重視しすぎると良くないと思うんですよね。それだけを重視すると、結果的に「なあなあ」の世界になってしまい、新参者を排除し、場合によっては変化に対応することができずに組織全体が崩壊してしまいますからね。何事もバランスだと思うんです。

 で、最近の日本を見ていますと、ちょっと「和」重視に偏り過ぎじゃないかな、と危惧されるわけです。先日書きました、日本の学校における英語教育についてもそうですが、普通に教育のことだけを考えればネイティブの人達を教師として招き、彼らに英語の授業をさせることが間違いなく良いわけです。

 たとえ「そんなことをしたら大学受験に対応できない」と批判する人がいるとしたって、そもそもいまの日本の大学受験の内容がヘンなだけであって、あんな高度な学術論文を読み解くような英語を学ぶ必要性よりも、日常の会話や外国人とのコミュニケーションをスムーズに取ることができる英語を学ぶ方が個人にとっても、そして国にとっても利益が高いのは間違いないからです。

 それにもかかわらず、100%悪いほうの「日本人教師による、従来通りの日本式英語教育」を選択する学校ばかりであることは、それは端的に言って「和」を重んじすぎるからですよね?つまり「そんな、英米人による英語教育を行ったら、いままでの英語教師は全員不要になる。彼らの生活が成り立たない」とか、「大学の英語入試システムそのものが完全に変わってしまうので、大学の英語教授連中の職がなくなる」といった理由に基づくと思うんですよね。そういう、社会全体から見ればごく一部の限られた人達の利益を確保するためだけが理由で、日本人全体に多大な利益をもたらすはずの英語教育改革が見送られ続けてきているわけです。

 でも、今の日本はそんな「和」を重んじた理由で、英語教育改革を先送りすべきでしょうか?私は絶対にそうは思いませんねぇ。この日本の英語教育における問題は今に始まったことではなく、ここ30年近く、イヤもっと長い間指摘され続けてきたことでした。

 それにもかかわらず、こんなヘンな英語教育が続けてこられた理由は、日本の経済が強く、そしてアジアの近隣諸国の経済力や英語力が弱かったので、そんな程度の低い英語教育でもそこそこビジネスで役に立ったからなんですよね。ところが、いまやインターネットがスマホを通じて見られるほどに普及し、英語による情報に溢れる時代になり、しかも近隣のアジア諸国の経済力の高まりと共に、彼らの英語教育の効果が現れるようになってくると、日本の従来のようなへんてこりんな英語教育では彼らに全然太刀打ちできなくなってきちゃったんですよね。

 つまり、日本を取り巻く国際環境・経済環境が激変し、もっと「実用的で、使える英語」を日本国民全体で身につける必要性が、この10年間くらいの間に急激に高まってきてしまったのです。そしてその間日本の経済力が衰えるにつれ、その危機感はどんどん高まってきているのです。

 それにもかかわらず、まだ日本の英語教育は100年前とあまり変わらない状態のままです。相変わらず英語が満足にしゃべれない「英語教師」が生徒に英語を教える、という、まことに奇妙な授業が行われたままです。英語教育を早急に変えなければいけないということは誰しも、特に社会に出て海外とビジネスを行う機会が多い人ならその必要性は痛いほど分かっているはずなのに、肝心の教育現場が自ら変わろうとする結論を全く導き出そうとしないのです。

 その変わらない理由が「和」重視によるものだと思うのです。でも、日本の英語教育はもはや「和」を重視していられる状況ではないんですよね。従来の日本人英語教師、英語学教授達が全員職を失うことになったとしても、変えなければならない状況なんですよね。逆にいえば、彼らの職を守るために日本の英語教育を変えない選択を行うことは、国益を損なうことになりかねないのです。

 こういったことって、他のことを見回しても日本にはたくさんあると思うのです。もちろん我々税理士の業界においてもあるでしょう。もちろん、すべてのものをご破算にしてすべてを効率重視で組み直せ!とまでは私は思いません。なぜなら長い時間をかけて、日本と日本人の社会に合ったシステムとして練り上げられてきているものも少なくないからです。効率一辺倒で得られる社会全体の利益よりも、「和」を重視することで得られる社会全体の利益が高いことも少なくないからです。

 ですから、要は、その見極めが大切だと思うのです。いまの日本は長い経済不況のあおりを受けたせいか、社会全体として内向きで、そして大きな変化やチャレンジを回避しようという雰囲気が強すぎるように感じるのです。つまり変化することで、自分達の生活状況がさらに悪化するのではないかと心配になるあまり、過度に現状維持に偏っているように見受けられるのです。

 しかし、それでは日本全体が沈んでしまう可能性が高いんですよね。守るべきところ、大切にしなければならないところを変えないことは、もちろん重要なことなのですが、いまの日本の社会には「変えなければならない」部分がたくさんあることも事実なんです。そしてそこにいま目をつぶっていることがどれほどリスクが高いことであるかということを、もっと多くの人が理解すべきではないかとも思うのです。チャレンジすることで得られることが決して少なくないことを、もっと多くの日本人が思い起こすべきだとも思うのです。

 英語教育の話にしてもそうですし、TPPに関する農業の問題にしてもそうですし、沖縄の基地問題、中国・韓国などとの関係、靖国神社参拝云々、などについてもそうなんですよね。全部リスクを避けて問題を先送りさせようとしているだけなんですよね。これらはもうそろそろ先送りするのではなく、正面から日本の国益のために片付けるべき時期に来ていると思うのです。

 その理由は、先ほども書いたように、数十年前のように日本がアジアの中でひとり勝ちしている状況ではなく、むしろ日本以外の近隣諸国のほうが日本以上に国力を付けてきているので、彼らが日本にこの問題を先送りさせることを許してくれないからです。先送りすることによって、日本の国益が損なわれる可能性が高まってきているからです。

 「和」を大切にした日本の社会システムや判断基準はとても素晴らしいものですが、それだけで議論してはならない問題も世の中にはたくさんあるのです。そしてそういう問題は、スピードをもって、より誰もが納得できる合理的な判断によって方針や結論が導き出されなければならないのです。一部の既得権益者達の利益が失われることになったとしても、日本の社会全体として得られる利益が高ければ、そちらを重視する必要があるケースが決して少なくないのです。

 日本人が、そういう判断基準の「使い分け」を器用にできることが、最近の社会では求められているのではないかと思いますねぇ。「和」を重視した結論と、「スピードと合理性」を重視した結論、いわばダブルスタンダードのようなものですが、こういったものを器用に使い分けることがこれからの日本人にとっては大事なことではないかと強く感じますね。どちらか一方に偏るのではなく、バランス良くこれらを使い分ける社会になることが、いまの日本では必要なのではないでしょうか。

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