税理士もりりのひとりごと

税理士もりりがぶつぶつと日ごろの出来事についてひとりごとを綴っていきます





  税理士もりりのひとりごとのナビゲーター   トップページ > 日記・エッセイ・コラム > 詰め込み教育も時に重要  

詰め込み教育も時に重要

2012 - 04/20 [Fri] - 11:53

 昨日の日経新聞の夕刊を読んでいますと、一面の「明日への話題」というコラム欄に東大名誉教授の和田先生という方が「一を聴いて十を知る」というタイトルで文章を寄せておられました。

 内容は「天才は一を聴いて十を知ると言われるが、何もないところから残りの九が出てくるわけじゃない。頭の中には綺麗に整理された形式知があり、そしてその何千倍の暗黙知が頭の中を漂っている。一つのことを聴いた瞬間に、天才は鋭い勘が働き頭の中を漂う暗黙知が集まって大きな十を作り上げることができる」といったものです。

 もっとわかりやすく言えば、頭の中にどれだけ多くの知識の引出を作ることができるかどうか、が天才と凡人との差といえるかも知れません。その知識の引出というものは、通常は本人も意識していないのですが、ふとした場面で、以前に引出にしまい込んだ知識を瞬時に探しだして、それを引出から出して使うことができるわけです。

 これは何も天才だけが行うことではなく、普通の人だってできることです。ただ天才と凡人とは、その引出の数や、引出にしまったり、引出から知識を探し出す能力に少し差があるだけのことです。

 勉強ができるかどうかの差は、結局勉強に興味を持てるかどうか、という一点にあります。だってどれほど勉強ができない人でも、自分が好きな趣味や、好きな野球選手の細かいプロフィールやプレーの内容は驚くほど詳細に、そして瞬時に話すことが出来るのですから、元々の頭の出来云々には、実はそれほど差がないと思うのです。

 さてそこで今回のお題に入るのですが、私たちの頃は詰め込み教育、暗記教育と揶揄されていたわけですが、しかし先ほどの「知識の引出」をどんどん増やして、その中に知識を詰め込んでいくことには役だったのではないかと思うわけです。

 小さい頃から、頭の中に役立つと役立たないにかかわらず、様々な知識を叩き込んでは忘れていく、という作業も脳を鍛え、脳を働かせるためには大切な作業だと思うのです。そのためには若いときに頭に知識を詰め込めるだけ詰め込む作業を行うことも必要だと思うのです。

 それを子供の頃にやっていないと、大人になってからやろうとしたってもう無理だと思うのです。そういう習慣もついていないし、何しろ脳にいまさら多くの知識を詰め込もうとしても、そんな時間もないし、そのような急激な負荷に脳が耐えられないと思うのです。

 私がゆとり教育について、ことあるごとに批判してきた理由もここにあります。「ゆとりを持ってのんびりと自分で考える力を養おう」というのは、とても耳障りのよいフレーズですが、頭になんの知識も備えないで生まれてきた子供達に対して「自分で考えよう」などというのはそもそも不可能なのです。

 小さい子供に「自分で考える」ことなどできるはずがないのです、だってそんな知識が頭の中にないのですから。だからどんどん知識や経験、方法論などを子供の頭にインプットしていってあげないとダメなのです。そしてその入力された知識の中から、場面場面で役に立ちそうなものを探しだして利用することができてこそ、やっと「自分で考える」ことが可能になるのです。

 ですから、勉強というものは「ゆとり」なんか与えたらダメなのです。絶対にロクな結果はないんです。そもそも勉強は「必死で脳に知識を詰め込むこと」から何かを得ることが目的なのですから、どんどん脳に情報を詰め込んでいかなければならないのです。

 もちろんそれは人によって得手不得手もあるでしょうし、能力の差もあるでしょうから、全員が全員一律に、一定レベルまで詰め込む必要はありませんが、しかし勉強の基本は脳にできる限りの情報を詰め込んで、そして脳の引出をできる限り増やすことにあるのです。

 それができてこそ、初めて「ひらめき」というものが輝き始めるのだと思うのです。だからゆとり教育なんて、人間形成の手段としては最悪の愚策だったのではないかと、私は思うのです。賢い子供をたくさん作るのは、先生も親も一生懸命頑張らないとできませんが、バカな子供を作るのは簡単です。「ゆとり教育」で何も詰め込まなければ簡単にバカは量産できるのです。

 でも中には「エジソンやアインシュタインは子供の頃それほど優秀ではなかったではないか。だったら子供の頃に詰め込み勉強など意味がないのではないか?」と疑問をお持ちの方もいるでしょう。なるほど、確かにそうですが、エジソンやアインシュタインは、世紀の大天才です。

 彼らは本当の天才だったから、別に子供の頃一生懸命勉強をしていなくてもその後に脳がひらめいただけのことです。ご自分やご自分の子供が彼らのように大天才だ、とおっしゃる方にはそういうなにもしない教育でも問題ないかも知れませんが、普通の人はそれじゃダメなんじゃないでしょうか?

 それに彼らだって自分が興味を持っていた分野については、きっとものすごい興味を持って、ものすごく一生懸命に勉強したはずです。ただ国家レベルで取り組む教育というのは、何も「天才」を量産することが目的ではないのです。国民全体、平均、アベレージとしてレベルを上げることが大切なのですから、その意味において詰め込み教育、暗記教育を行うほうが、国民全体としてのかさ上げを行うには確率論的に有効だと思うのです。

 「でも、その詰め込みについて来れない落ちこぼれ達はどうするの?」という声もあるでしょう。うーん、これについては、残念ながらその落ちこぼれ達には落ちこぼれ達に合わせたレベルの教育を受けさせるしかないですよね。だって落ちこぼれの子供がクラスにいるからといって、その子のレベルに合わせてクラス全体のレベルを下げるわけには行きませんからね。もうこればっかりはしょうがないです。

 だから当然クラス内での格差は生じますし、進学する先の学校も生徒のレベルによって分かれるでしょうね。でもそれが一番自然な姿だと思いますね。その落ちこぼれを拾うために、全体の勉強のレベルを下げてしまったら、生徒全体がバカになっちゃいますからね。ひいては日本全体がバカになりますからね。これも純粋に確率論の話です。

 でも、それをやっていたのが「ゆとり教育」です。要は立ち位置や目線が違うんですよね。昔の詰め込み教育は「全体的に賢い子を作る教育」であり、「ゆとり教育」は「全体的にバカを作る教育」だったわけです。どちらが国にとって望ましいかは、一目瞭然じゃないですかねぇ?

 ですから、子供の頃の勉強の詰め込みって、私は大切だと思うんですよね。それに脳がまっさらな状態に知識をどんどん詰め込むわけですから、いくらでも吸収できますしね。

 それに先ほども書きましたけど、若い頃にそうやって脳を必死で使う訓練をしておかないと、大人になってから使えない脳になっちゃうと思うんですよね。やっぱり何事も鍛えておかない時期に鍛えておかないと、あとになったら手遅れ、ということがあるんじゃないかと思うのです。

 これからの日本を復活させていくためには、もう一度子供の教育について考え直す必要があるのではないでしょうか。過去を否定するだけでなく、過去を見直して再評価することも未来のためには重要な戦略だと思います。

関連記事

トラックバック

http://moriri12345.blog13.fc2.com/tb.php/1303-82548c2e

 | HOME | 






プロフィール

もりり

Author:もりり
当ブログにお越しいただきありがとうございます、税理士のもりりです。のんびりと、時々辛辣に日々感じたいろいろなことを自由に書いていきたいと思います。

最新記事

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

QRコード