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絞首刑は違憲に近い

2011 - 10/13 [Thu] - 12:38

 「絞首刑は違憲に近い」と元最高検検事が殺人罪に問われている被告の裁判で証言したのだとか。曰く「絞首刑は憲法(36条)が禁じる『残虐な刑罰』に限りなく近いと思う」とのこと。(日経新聞より)

 また「絞首刑の現場は大変むごい」とも述べていて、いかに死刑の現場が非人間的で残酷なものであるかといった旨の発言も行ったようです。まあ被告側の証人として証言したわけですから、こういう発言なのでしょうね。なんか弁護士も死刑廃止にものすごく舵を切って活動しているような感じですね。

 いや、そりゃあ「死刑」という行為が残酷でむごい行為であることは分かっているつもりです。だって人を一人殺すわけですからね。その死刑執行官の精神的な苦痛も大変なものであることもよく分かります。

 でも別に死刑の現場なんか一般市民が見る必要なんてないんじゃないですか?なんでそれを見たり知る必要があるんですか?だったらその死刑囚が人を殺す場面や手足を斬り殺されたり、黒こげになって苦しんで死んでいく被害者の様子も正確に知らないと論議がフェアじゃないですよね?なんで死刑囚が死刑になる場面だけを「むごい」と強調する必要があるのでしょう。死刑囚が行った犯罪行為のほうが遙かにむごくないですか?

 今回の裁判に関しても、この被告はパチンコ屋に火をつけて5人焼き殺したんですよ?パチンコしてたらとたんに火の海になって生きながら苦しんで死んでいった5人はむごくて残虐な殺され方をされたんじゃないですか?殺人鬼が絞首刑に処される場面よりも、被害者のほうが遙かにむごくて残虐な殺され方をしたからこの殺人鬼が死刑になるかどうかがが問われているんでしょう?違いますか?

 いえね、ですから私は正直、罪を犯したものに対する刑罰というものは、その犯罪者自身が犯した罪に応じるべきだと思うんですよね。他人の命をなんの理由もなく奪った犯罪者については、悪いけど自分の命で償って欲しいんですよね。だってそうしないと犯人だって自分の行った行為がいかにヒドいことだったかなんて実感できるはずありませんもの。

 被害者遺族の感情に照らしても到底許すことはできないと思います。死刑反対派の弁護士などは「じゃあ被害者遺族自身が死刑を執行すればいい。そうすればどれほど死刑がむごくて残虐な行為か理解できるはず」と言いますが、なんで犯罪被害者という一般市民が自分の意思に反して人を殺す必要があるのでしょう?

 いえ、もっと言えば、もし私の家族が理不尽に殺されたりするようなことがあれば、私なら死刑執行の場所で殺したります。殺してイイのならジクジクと槍で突いたり、クビをひもで締めたり緩めたりしながら自分の家族が味わったのと同じ苦しみと無念さを与えてやりながらじっくりと殺してやります。

 例え許しを乞おうとどうしようと、そんなもの「家族をお前に殺された悲しみに比べればお前を殺すことなんてなんの精神的苦痛にもならない」程度の事です。だってそれが私にできる唯一の「仕返し」ですもの。まあ、殺さないまでも殺す一歩手前まで死ぬ苦しみを与えてやります。

 でもそれは、それこそ残虐だし、それにハムラビ法典じゃあるまいにやられた相手が同じことをやり返すなんて、さすがに刑罰執行の方法としてはあまりに前時代的な気がします。でも犯罪被害者の遺族からすれば、きっとそれくらいの感情は持っていると思います。だからこそ死刑存続を望む世論が85%程度もあるんじゃないでしょうか。

 死刑廃止論者の意見っておかしいんですよ。人権、人権って言いますけど、なんで人を何人も殺したような奴に「人権」があるんですか。「人権」って人間に与えられる権利でしょう?人を何人も殺して平気な殺人鬼やケダモノに「人権」ってあるんですか?こういう場合の「人間」って「何も悪いことをしていない、普通に暮らしている善良な一般市民」のことをいうんじゃないんですか?人の皮を被って人間の言葉をしゃべる鬼になんで「人権」があるんですか?

 今の人権派の法律家たちの意見に沿えば、人権って生物学上「ヒト」に分類されれば誰にでもある、っていう概念ですよね?生物学上「ヒト」に属している限り、そいつがどんなヒドい行為を行って大量虐殺を行ったとしても、そいつの命を奪うことは許されない、という考え方ですよね?

 だったら日本の弁護士はなぜウサマ・ビン・ラディンを裁判にもかけないで撃ち殺してしまったアメリカという国家に抗議しないんですか?オバマ大統領を殺人罪で告訴しないんですか?最も先進的な法律を整備してきた国であるかのように日本では思われているアメリカだって、自国にテロ行為を行った容疑者(あくまで容疑者であって、誰も実際にテロを行ったかどうかは確認もしていないのに)を一族郎党皆殺しにするんですよ。この行為をどう評価するんですか、日本の人権派法曹人たちは?

 まあここは日本ですから、アメリカがどんなことをしようと知ったこっちゃねぇ、ということにはなるんでしょうけれども、結局世界的に見てもやっぱりあまりにヒドいことを行った犯罪者については人権もクソもなく命で償ってもらう、という考えが人間の感情の根底にあるのは間違いないですよね?だから死刑が世の中で望まれていると思うんですよね、やっぱり。

 それに逆に訊きますけど、人権派弁護士たちはこういう殺人鬼たちに対する刑罰として、死刑以外には何がいいと思ってるんですかね?どうせ終身刑とかの禁固刑でしょうね。でもね、別の視点に立てば、人を5人焼き殺したって死刑にならないのなら、いくらでも人を殺す奴が出てきますよ。だって禁固何年つったって働かないでお国が飯食わせて生活させてくれるんですもの。殺人を平気で犯すような連中にとって見れば、牢屋で暮らすことなんて苦痛でもなんでもないもの。

 その後で仕事もなく働けなければ、生活保護でも受けてまた国に養ってもらえばいいだけのことだもの。その犯罪者の余生を全てまかなうのは、結局私たちの税金。他人を殺して、本来であれば死刑になっておかなければ世の中を不安にするかも知れないような犯罪者にたいした苦痛を与えることもなく生かしておいて、それを自分達の税金で養うなんて、それが「人権」という考えなんですかね?アホらしい。

 なんで人殺しのような極悪非道人がのうのうと世の中で生き続けて、善良な被害者とその遺族だけが悲しんで苦しい目に会わなければいけないのでしょう?そんな理不尽なことはおかしいから極悪非道人には自らの命でもって罪を償い、そこで被害者側・加害者側共に区切りをつけましょう、ということなんじゃないですか?

 人権派が主張したいことは分かりますよ。そりゃあ分かりますが、あまりに綺麗事過ぎるんですよね。そんなに人間の感情って簡単なものじゃないでしょう?たぶんその意見の相違は、結局のところ「人権」に関する概念が違うからだと思うんですよね。

 人権派が主張する「人権」は「ヒト科に属する生物全体」に対する概念、一方できっと一般市民の多くが思っている「人権」は「日常生活で他人に迷惑をかけないで生活している、一般市民感情において当然安全や生活が守られるべきと考えられている善良な人々」に対する権利だと思うんですよね。そこが全然違うんですよね。

 だから他人を5人も焼き殺した奴に対しても「人権」があると人権派弁護士は言い、私たちは「そんな他人の『人権』をむごいやり方で奪い取った奴に『人権』などあるはずがない」と思うわけです。クソもミソも一緒にして人権を語るから話がメチャクチャな方向に行くのです。何事も一律に処理できるわけでもないし、人間全てが平等であるはずがないのに、「人権だけは殺人鬼にも善良な一般市民にもある」などという思想を持ち出すからワケわかんなくなるのです。

 まあ難しい話ではありますが、何でもかんでも「人権」で一括りにして問題を寄り切ろうとする人権派弁護士たちの主張には違和感を感じますね。まあ、とりあえず人権派弁護士はアメリカのオバマ大統領を法的に訴える方法がないのかどうか検討したらどう?(笑)そんなことしたってゼニにならんからしないか(笑)。

 結局は名誉とカネのためにやってるんでしょ、違う?弁護士さんたちって、「社会正義のため」なんて言いながら、結構ドライですからね(笑)。

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