税理士もりりのひとりごと

税理士もりりがぶつぶつと日ごろの出来事についてひとりごとを綴っていきます





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電子申告の問題点と改善点

2008 - 01/30 [Wed] - 12:50

 電子申告の話ばかりで恐縮ですが、最近本当に電子申告をよく行っています。今年から利用者識別番号が即時発行できるようになりましたので、「電子申告をしたい!」と思ったその瞬間に即時に行うことができるようになりました。昨年の確定申告時期に問題点として指摘していた利用者識別番号の発行の遅さは見事に解消され、やはりこれを改善するだけで相当心理的に電子申告が行いやすくなった気がします。


 おかげで年末調整の合計表をできる限り電子提出してみようと思っています。既に年末調整のソフトにデータが入っていますから、後はこれを電子申告用に移し替えるだけですから簡単なものです。まあ実際には今年は全ての合計表を紙で提出しますので作業は二度手間になってしまうのですが、合計表を電子申告することなどどってこと無い作業ですから今回は税務署からの協力お願いにお応えして署の実績アップに協力することにしました(笑)。電子申告できそうな顧問先に電話をかけて「今年から電子申告で申告させて下さい!」「ああ、好きにしてくれていいよ。」「ありがとうございます。」のやり取りが済めば開始届提出と識別番号の即時発行。で、実績一件あがり、です。


 そんなことするくらいなら最初から合計表を電子申告だけで行えばいいのに、という疑問をお持ちの方もおられるでしょうが、そこには一つだけ問題点があるのです。大阪国税局管内ではこの合計表に「給与所得等支給状況内訳書」を添付しなければならないのですが、どのソフトもこの書類を電子申告できないために結局紙での申告が余儀なくされるのです。聞くところによれば他の国税局管内などではこの内訳書を提出する必要がないとのことですが、結局これを提出する必要があるために合計表はどのみち全ての顧問先について紙ベースでの提出を余儀なくされる訳なのです。


 結局そんなちょっとしたことが電子申告の支障になるんですね。とにかく「電子申告」と銘打つくらいなら全てが電子でできなきゃ意味ないんです。例えば法人でも個人でもそうですが、必ず申告書には「税理士法30条・・・の代理権限証書」を添付することになっています。しかし、あれ何とかならないもんですかネェ。結局あれが電子申告できないんで添付で出さないといけないんですよね(注:加筆訂正 実際にはe-taxで添付提出できるようです)。といってももう私はめんどくさいんで出さんとこかな、と思っていますが、現実として電子申告の場合には税理士の本人証明を付けて代理申告しているわけですから権限証書の提出など不要でしょう?あの書類の提出、もう即座に廃止しませんか、税務署さん。意味ないですよ、本当に。あぁ、もしかするとこの件については税務署よりも日税連にいうべき事なのかも知れませんけどね。


 国税側は本当にいろいろと今までのタブーをうち破ってでも電子申告普及に力を入れている、ということは凄くよく伝わってきます。もちろん署長をはじめ各担当者の各署における電子申告推進の実績が毎日わかる仕組みになっているようですから、自分達の出世と保身のために一生懸命になっているというのが本当のところだろうと思います。それは差し引いても頑張っているのは事実で、年々、いえ数ヶ月単位で仕組みがどんどん改善されているのは我々から見ても有り難いことです。


 何しろ今年の個人の確定申告における医療費控除の領収書や源泉徴収票の添付を省けるということがどれほど電子申告のハードルを下げているかわかりません。しかし書類を添付しないのですから当然ながら不正還付等が増えることは容易に予想できますよね。しかしこれは私見ですが、そんなことは署側も当然承知の上ですし、この2年ほどに限っては署側は多少の不正申告には目をつぶってでも電子申告普及を優先させているのではないかと思います。そうであるならば、はっきりいってここだけの話、電子申告で提出された申告書の審査は余程めちゃくちゃな事をしない限りまずその内容は署内でスルーされるでしょうから電子申告を行ったほうが署内での扱いは有利、ということが現実的にはあるのではないかと思います。


 まあ極端な話、それほど署側が譲歩してでも国策として電子申告普及に最大の力を注いでいるというわけです。それに税理士が協力してあげないのもなんですし、そこまで甘くしてあげようと言外に言っているわけですから我々も積極的に利用することで依頼者の様々な利益につながる場面も多いのではないでしょうか。当然こんな扱いは電子申告が普及してしまったらないわけで、過渡期である今だからこその特典であるわけです。ですからこのチャンスを利用しないのは税理士として損だと私は考えています。


 とにかく国税側は本当に一生懸命やってますよ。署の実績が少ないと署長が自ら管轄の税理士に「お願い、電子申告して」って電話をかけてきますしね。何度も言いますように、世の中何でも持ちつ持たれつ。別にメリットを期待するわけではないですが(いえ、実は期待しています(笑))、まあ我々にできることは最大限協力してあげようと思っています。その代わり我々が提案する電子申告を便利にするための改善を署単位で行ってくれていますし、電子申告の実績作りに協力した、まあ様々な心理的なメリットというのはゼロではないでしょうからね。これは比較的署に対して協力的に今まで税理士活動をしてきた私が今まで肌で感じてきた事実でもあります。まあもちろん癒着ではありませんが、お互いがお互いのメリットのために協力する部分は協力し合えばいいんじゃないでしょうか。役所だからといって毛嫌いする必要はないでしょう。お互い人間同士気持ちよくギブ・アンド・テイクで行けばいいんじゃないでしょうか。まあこの辺りは私が民間企業出身というところからなす感覚なのかも知れませんが。


 まあそれはそれとしてとにかくどうしようもないのが地方税。もう、どーなってんの、って言いたいくらいで、まずもって利用通知書が全然届かないんですよ。償却資産税と法人の県民税を電子申告しようと思っているのに全然届きません。先週あまりに遅いのでサポートセンターに電話をして再発送をお願いしているにもかかわらず、予定の日になってもいっこうに届きません。もう一月が過ぎようとしているのに一体どーなってんでしょうか?地方税も国税同様に利用者IDの即時発行を行うべきですね。


 国税庁に電子申告の件でプレッシャーをかけた政治家は各市町村にもそれ以上のプレッシャーをかけて下さいよ、ホント。この辺りを偉い方々は現場がわかっておられない、ということになるのでしょうが、結局国税の電子申告を推進させるためには地方税の電子申告も同じ足並みで進んでいかないと実際の申告の現場では電子申告は一向に普及しないのです。我々だって仕事で税理士業を行っているのですから、耐えられないほどの不便を我慢してまで電子申告を行う気はないのです。今この時期に全ての市町村が電子申告に対応する準備すらしていないのであれば「あんた達何やってんの?状況分かってんの?」って話で、正に税理士から見ればこんな市町村はKYですよ、我々や国税庁にケンカ売ってるとしか思えません。


 最近電子申告をそこそこ行うようになって見えてきた問題点はそんなとこですね。総括すれば「書類添付の完全廃止」と「全市町村の電子申告への対応」ですね。これができれば電子申告なんてチョロいもんですよ。これができればやっと本当に便利で簡単なシステムに完成されるわけですね。そうなれば必ず税務の電子申告は爆発的に普及しますね。その時はインセンティブもきっと不要でしょう。

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武富士事件で原告逆転敗訴

2008 - 01/27 [Sun] - 03:20

 いやあ、新聞を読んでホッとしましたネェ。何がって、そんなの武富士の例の贈与税の事件ですよ。高裁では地裁の判決を逆転し原告敗訴です、当然ですよ。こんなもの許していたら世の中に善意などなくなったも同然ですからね。地裁が訳のわからない判決を出してもやもやと過ごしていましたが、高裁が良識を示してくれて少し安心しました。


 事件の経緯は皆さんご存じでしょうから説明は省きます。で、この裁判の焦点は結局のところ原告である武富士の息子が香港でホントに居住の実体があったのかどうかという点。地裁は有ったと認め、高裁はなかったと認めたわけです。たとえ年間の大半を香港で過ごしていたとしても、たとえ現地法人の代表者か何かをしていたとしても、そんなものは単なる「偽装工作」であると。日本の自宅に家財道具一式があって生活拠点としての実体がありありだったじゃないか、と。そういった理由で国税側の課税の判断は正しかったと、そういう訳のようですね。


 まあ今回の判決や或いはそもそもこの事件が発生したあたりから、一部の方々から「租税法律主義が守られていない」という批判がでていました。なるほど確かに税金の徴収は国の法律に基づいて行われるべきでしょう。それがあるべき理想型です。しかし今回のケースはどうなんでしょうか?この武富士の息子はその法律を自分の都合のいいように利用し、解釈し、租税回避のみを目的として長期に渡り大金を投じて状況証拠を作り上げていっただけなのではないでしょうか?


 租税法律主義は大切ですし、遵守されるべきだと思いますよ、善良な納税者にとっては。いいですか、ここで大切なのは守られるべきはあくまで「善良な納税者」に限られるという点です。我々が普通に日常業務でかかわっているような顧問先は大抵善良な納税者ですから当然租税法律主義に基づいて課税されていますよ。だから法律が遡って適用されることなどまずあり得ませんよ、絶対に。しかし今回の事例はこの武富士の息子は明らかに「悪質」な納税者と判断され、そういう悪意を持った納税者には租税回避行為として実体に基づいて課税しよう、そういうことなんですね。だから今回のケースは別に遡及立法が行われたわけではないのです、ただ単に租税回避行為があったかどうかが問われているだけなのです。


 いいですか、本当に一点の曇りもなく、税理士としてではなく、ましてや国税をギャフンと言わせてやろうという歪んだ心を持つことなく(笑)、この事件を素直に冷静に判断してみて下さい。確かに当時の法律に基づけばこの原告は税金を払わなくても良かったかも知れない。しかしこの原告のように明らかに悪意をもって法律を利用しようとし、しかも法律を逆手にとって1300億もの巨額の税金を回避しようとした行為を他の善良な納税者と同様に単に「租税法律主義」だけで許してもよいのか、という判断が求められているわけです。ましてや納税とは国民の最も大切な義務であり、国から見てもこの1300億円という税額は決して看過できる額ではなかったのです。


 裁判の記録を見ていないので詳しくはわかりませんが、そもそも原告、被告(国)ともにこの「租税法律主義」云々はこの裁判では争点になっていないでしょう。実は私もこの事件が起きた当初から「果たして法律というものは遡って適用できるものなのか、どうか」という点を調べてみましたが、結局遡及立法はやはり納税者の不利益になるため認められるべきではないという事のようですから、もし今回の事件が遡及立法を問う裁判であるならば国税が勝つのはおかしいと思います。しかし今回の事件はそもそもこの原告が「善良な納税者」だったかどうかが問われている事件であって、租税法律主義を無視して課税してくる国の行為を問う裁判ではないわけです。


 原告が善良な納税者であると認められず、租税回避行為を行っていると認められる以上、国税側の裁量で適切に課税されるのは今までもどのような税目であれ普通に行われていた行為です。「海外に住んでいたことにすれば相続税法が適用されない」と法の表面ヅラだけを見てそのアリバイ工作をを一生懸命行っていた原告の行為は単なる租税回避行為である、と裁判所や国税が判断したことは国の利益や他の善良な一般納税者との対比で照らせば当然の判断だと思いますよ。「金が有ればなんでもできる。金が有れば海外に暮らして日本に税金を納めない方法がある。」そんなことをを認めていたのでは善良な納税者と比較してあまりに不公平ですし、そもそもこの被告が日本国民として日本という国に適切に納税するという義務を果たしているとは言えません。


 もちろん日本の税制や使途が日本国民にとって望ましい内容であるかどうかということはこの場合無視していますし、本来は全国民が喜んで納税したくなるような税法の整備や国家運営を行うべきでしょう。もしこの原告が国の現行制度に不満があって租税回避をしたのであれば、それは国として改善を考えるべきなのかも知れませんが、今回の事件は長期に渡って租税回避スキームを展開している点から見て、そういったイデオロギー的な不満から租税回避をしたのではなく、単なる損得で租税回避を行ったと見るべきでしょう。


 それでもやはり今回の判決や国税側の課税はおかしい、とおっしゃる方もおられるでしょう。しかし今一度冷静に考えてみて下さい。なぜ、おかしいと感じるのですか?まず今回の事件は租税法律主義の問題ではないのです。だから「脱税」ではないのです、争点は「租税回避行為」であるかどうかです。お金持ちだからこそあれだけの時間とお金をかけてまで租税回避のための状況積み上げができただけのことです。結局海外に彼がいった本当の目的はなんだったのか、という実質が問われているわけです。実質は「贈与税の租税回避」であり、だからこそ細かく調べれば生活の実態が日本に認められたのでしょうねぇ。


 しかしなおも「確かに国に税金を納めなきゃいけないけど、その使い方が気に入らない!だから何かしら理由を付けて税金を取りに来る行為が許せない!」と思う方もいるでしょう。しかしそれは全く別の話です。税金がどう使われているかということは本当に我々国民がきちんと勉強して調べて利口になるべきなのです。そして不正に使っていたり無駄に使っていたら追求してより効率的で効果的な税の使い方を求めるべきなのです。しかしだからといって我々が国に税金を納めることを拒否するのは間違っています。それ程までに日本に税金を納めたくないのであれば日本国民を止めるしかありません。真面目な話、そういう結論に達せざるを得ません。しかし別の国に行っても必ず納税や社会保険納付の義務はありますし、あなたがある国家に属する以上納税は絶対に避けられません。だって課税権こそが国家の最大の権力であり、それがなかったら国家は成り立ちませんからね。


 ですから今回の事件を一般納税者が持っている納税という行為に対する感情と結びつけて考えると、ちょっと問題の本質を見誤ってしまうのです。今回の事件は別に国が原告から無理矢理税金を取ろうとしているわけではない、ということです。今回の事件の本質はこの原告が日本国民として適切に税金を納めようとしていたのかどうか、悪意をもって税金を納めないように工作したのかどうか、そこが問われているのです。


 私もこの事件に関しては前のブログに書いてありますように正直言って多少感情的になる部分はあります。しかし冷静に税務面から捉えればごく一般の税務判断事例と全く根本は一緒だということです。その後の法律の改正は単に将来の租税回避行為を防ぐために法律でもう少し厳格に規定して、同様なスキームを行った場合には「脱税」として扱えるようにしただけのことです。別に今回の事件で遡って適用したわけではないのです、当初はそのように報道されていて、私も含め多くの人がそのように誤解してしまっていましたけれども。


 まあ今回の高裁の判断は本当にホッとしました。日本の司法にも良心が残っていましたね。ホントにね、地裁ももう少しきちんと判決出して下さいよぉ。裁判長は奇をてらったアナーキーな判決を出してウケなど狙わなくていいんですよ(笑)。多くの人が納得する、公平で常識的な判断を出してくれればそれでいいんですよ。博多の3児を水死させた追突事故の裁判といい、地裁は一般市民感情とかけ離れた判決ばかり出すから困るんですよ。ついでに弁護士も図に乗って単なる減刑屋に成り下がっていて、法廷でふざけたことばかり言ってますしねぇ。しっかりしてくれよ、日本の司法は。世の中が訳のわからない人間であふれ返ってしまうと、それこそ司法こそが最後の残された日本の良心になってしまうんですからね。

年調関連の電子申告、これは便利だぞ!

2008 - 01/24 [Thu] - 01:18

 電子申告についての問題点をつらつらと書き連ねた文章をアップしようと準備していたのですが、今日年末調整関係のデータを電子申告(申請)してちょっと感動したので新たにこの文章を書いてアップすることにしました。


 毎年この時期になると税理士事務所の方々は憂鬱になりがちだと思いますが、それは年末調整関連の仕事があるからだと思います。私も毎年1月は正直言って確定申告よりも楽しくないですね(笑)。沢山ある顧問先の年末調整を行い、支払調書と合計表を作り、源泉所得税の納付書を作り、給与支払報告書を作って提出する・・、考えただけでクラクラしてきます(といっても毎年やらなきゃいけない)。でも一番管理がめんどくさいのはこれらの書類を提出することですね。書類を作るのはいいんです、一生懸命やればいつの間にかできてますから。ただ最後にどっと溜まったこれらの書類を税務署と市町村に提出するのが難儀です。ついでにこの時期は償却資産の申告書も提出しなきゃいけません。


 で今年から、というか今日試しにやってみたのがこれらの電子申告ですね。合計表の電子申告による提出は昨年からできたようですが、私が使っているソフトが対応していませんでしたので今年が最初の提出になりました。またゼロ納付の源泉所得税の納付書提出もe-taxソフトからやってみることにしましたし、償却資産税と給与支払報告書も神戸市が今年から対応しているので早速やってみることにしました。つまり今回は全ての書類の提出を電子申告でやってみたのです。


 結論です。これは便利です!本当に。あまり電子申告については肯定的な意見を書いてこなかった私ですが、やっぱりこれだけの書類をこの時期に提出したり郵送しなくていいのは本当に楽です。だって一つの顧問先について合計表、給与支払報告書、償却資産税と三つ提出がありますものね。これらが全部クリックポン、ホントにポンでできてしまうのですから楽です。


 給与支払報告書や合計表の電子申告ってどんなんだろう、源泉徴収票はどうするんだろう、などと考えていましたが、いえいえいつものようにこれらの書類を作るためのデータを準備すれば簡単に電子データに変換してくれるので何も難しいことはありません。今まではそれを印刷してセットするのが結構手間でしたが、合計表に源泉徴収票を10枚添付しなければならなければいけないのであれば、きちんと10枚分の源泉徴収票のデータを抜き出してくれますし、給与支払報告書に添付する源泉徴収票(報告書)もきちんと必要枚数を自動で抜き出してくれます。手で書類をセットする手間を考えれば電子申告の方がずっとずっと正確、簡単で早いです。


 ただし・・・、これからが大きな問題点なのですが、合計表を提出する税務署は良いとしても、この電子申告のメリットを生かすためには給与支払報告書と償却資産税を提出する市町村が電子申告に対応していることが大前提となります。兵庫県で電子申告に対応しているのは神戸市だけで、当然神戸市周辺の市町村には電子申告で提出することができません。大都市のない県の税理士は当然ながらこれらの書類を全く電子申告できないでしょうから、私の話を読んでも「何のこと?」ってかんじでピンとお感じにならないかも知れません。


 今日実際にやってみてはっきりわかりましたが、全ての市町村が電子申告に対応して給与支払報告書と償却資産税を電子申告で提出できるようになれば、多分この時期の税理士事務所の事務の業務効率は劇的に変わります。本当にそう確信しました。しかし現状ではこちら側(税理士側)にこれらの電子申告を行うやる気が300%くらいあっても、市町村が対応していなければどうしようもないのです。我々サイドの努力だけではどうしようもない状況に来ているのです。税務署への電子申告は税理士側が役所からけしかけられている状況ですが、市町村への電子申告の状況は全く逆です。


 税理士の業務を電子申告によって効率化させるためには全ての市町村が早急にこれらの電子申告に対応することが不可欠です。いくら税務署から強制されても市町村が電子申告に対応しない限り我々サイドから見れば、電子申告できる書類とできない書類、或いは電子申告できる提出先とできない提出先を分けて管理しなければならないため、むしろ業務は煩雑になってしまうのです。ですから本音を言えば、税務の電子申告は税務署、市町村の全てが電子申告できるようになってから一斉に行いたいところなのです。


 税務署を管轄する国税庁や大蔵省が大金をかけて作ったe-taxを税理士業界を巻き込んで普及させたいという考えはよくわかります。税務署の方々の様子を見ていると、改善や対応も頑張ってやっていると認めます。しかし税務署サイドから見れば自分のところに電子申告で提出してくれればそれで事は足りるのでしょうが、我々税理士サイドではそれだけでは困るのです。中途半端に効率化が図られても困る場合があり、今の国税・地方税の電子申告の状況は正に「中途半端」で、むしろ我々の事務の混乱を招く結果になります。


 私はいつも電子申告については批判していますが、それでも税務の電子化とはどのようなものか知っておきたいし、できる限り早く対応したいと思っていますので積極的に取り組んでいるつもりです。ですが多くの税理士はきっとこの中途半端な電子化の状況にものすごく不満を持っているでしょう。なぜなら現状では業務の効率が明らかに落ちるからです。私から見てももし電子申告が税務署にしかできないのであれば、所得税の申告以外電子申告を行いたいとは全く思いません。ちょっと試しに電子申告をやるくらいであれば「ああ、意外と簡単で便利じゃん」と思うかも知れませんが、いざ本格的に電子申告を行おうとすると現状ではまず間違いなく業務の効率は落ちるか良くて現状維持でしょう。ですからいくら税務署がやれと言っても、いくら日税連の池田会長がやれと言っても、こんな中途半端な状況ではやりたくないと思う税理士が出てきても私には少しも不思議ではありません。


 ですから国税当局や日税連が電子申告を積極的に推進させたいのであれば、まず全ての地方自治体を電子申告可能な状況にここ1年くらいの間にもっていかなければなりません。国税や日税連はまず税理士に一件でも電子申告を体験をさせて普及を狙っているようですが、しかしそれだけでは電子申告に踊る事を税理士もいずれ止めてしまうでしょう。これ以上税理士が電子申告を積極的に行うためには、もはや国税に対する義理だけで行うのではなく、自らの業務の効率化のために行うことが大切になってくるのです。ですからお遊びやお付き合いで電子申告を行う状況の後にやって来るのは本格的な電子申告への対応であり、そのためには全ての市町村が電子申告に対応することが不可欠なのです。


 今後の電子申告の普及は税理士がその役を担うのではなく、既に市町村にボールは投げられています。市町村が本気で対応しないのであれば、電子申告が普及しない原因は税理士や国税にあるのではなく各市町村にある、そう結論づけられても仕方ないと思います。


 しかし会報「税理士界」などを読んでいるとしばしば思うのですが、池田会長をはじめとする会の重鎮方が「電子申告は税理士の義務である」と税理士にプレッシャーをかけておられますが、本当にその方々は電子申告してらっしゃるんでしょうかねぇ(笑)。なんか彼らの書いてる文書を見るととても実際に電子申告を行ってその重大な欠陥や問題点を把握しているようには感じられないんですよね。税務署だって昨年あたりはまだどれほどe-taxが税理士から見て不便なシステムであるか、ということがわかってなかったですからね。ましてや税務の現場からは相当離れざるを得ないだろうと考えられる日税連の偉い方々が電子申告の現状を正確に把握しているとは到底思えません。


 税務署も最近は少しずつその改善の必要性を理解してきているように思いますが、日税連のトップなどは全くわかっていないんじゃないかと感じることがありますからね。日税連のトップもあんまり浮世離れ、現場離れしたピントのぼけた話をしていると、ますます現場レベルで一生懸命やっている税理士からずれていきますし、反感を買いますよ。ましてやこれだけのスピードで税務の世界も業務の変革が進められている時代です。電子申告をイメージだけで捉えて「あれしろ、これしろ」って言っても、とっくの昔に現場はもっと先に進んでいる、そんなことになってしまいますね。ホントに電子申告が便利になってしまうと、若い税理士達はベテラン達の想像を超えてどんどん先に行ってしまいますよ、多分。もうそうなると暇つぶしで税理士でもやってやろうか、くらいの気持ちでやっているお年寄り達はアッと言う間に駆逐される恐れがありますよ。それでもいいんですか、池田会長?たとえ無償独占が守れても自らが普及させた電子申告で税理士の淘汰はやはり起きてしまいますよ?


 話は戻って、電子申告普及はもう次の段階に進まなければなりません。まだ電子申告に取り組んでいない税理士にとりあえず体験させる、なんて暢気な状況はもう過ぎました。そんなことをやっていたのでは全く状況は前に進みません。今やるべき事は本格的に普及させるため全ての市町村に早急に電子申告に対応させること、これしかありません。これができれば業務の効率が劇的に進むので税理士は放っておいても電子申告を業務に取り入れるはずです。


 もはや国税と日税連がプレッシャーをかけるのは税理士ではなく市町村、すなわち総務省。それが本当にe-japanを実現させて全ての関連する人々の業務を効率化させるためにやるべき事です。

婦人警官への文句

2008 - 01/19 [Sat] - 05:35

 先日のお話を一つ。事務所から家に向かって帰ろうとしていますと某警察署のある交差点の横断歩道付近に若い婦人警官が交通安全のために立っていました。横断歩道で私が待っていて私が横断する車線の信号が変わったとき、一台の車が交差点を横切りました。あれは明らかに黄色ではなく赤色に変わってからの進入でした。車が進入したときに私が信号を確かめましたので間違いないと確信しています。


 ところがその婦人警官、目の前をその信号無視した車が通り過ぎても笛を吹くわけでもなく、制止しようとするわけでもなくそのまま何事もなかったかのようにしています。で、私が渡る信号の色が変わったので歩き出したとき、どうしても一言いいたくなったのでその婦人警官に話しかけました。「今の車、赤で交差点に入ってきたんとちゃうん?何で止めへんの?」するとその婦人警官、「いやあれは黄色やったから。」と横を向きながら話します。「うっそー、今のは明らかに赤やんか。オレなんか今の車よりずっと早く交差点に入ってたのに信号無視で罰金払ろたでぇ。そんなん不公平やん!」と私は文句を言って横断歩道を渡りました。


 そうです、私は車で走っていたときに信号無視でパトカーに止められて罰金を取られたときがあったのです。しかし、私が交差点に進入したときは明らかに黄色信号。確信はありましたが、その時私は大変急いでいたし、警察署に行って上申書を書くのもめんどくさかったのでその時は「おかしいよ、こんなん。僕、赤信号で入ってへんで。」と文句を言いながらも渋々とキップを受取り罰金を納めました。そして今回の場面だったのです。もう、正直この婦人警官の対応にはイラっと来ましたね。「お前、何のために交差点に立ってんねん、交通事故防止のために立っとんとちゃうんか?赤信号無視で車が来たのに何もせえへんかったらお前がここにおる意味ないやんか!そんなん止めてまえ!」と思いましたね。


 まあとは言え、警官だって所詮サラリーマンですよ。ただの役人ですよ。そういう意識で働いている輩もいるでしょう。だからいちいち交差点で信号無視を見かけるたびに目くじら立ててたらこんな仕事やってられへんで、と思う警官も少なくないでしょう。しかし、その「しょーもない」交差点進入で私は罰金を取られたんです。とられた側から見れば今回の婦人警官の対応、しかも明らかな赤信号なのに「黄色だった」などといいかげんな自己弁護する姿を見ると、「ふざけんじゃねぇぞ」と言いたくなりましたが、まあ大人げない話で申し訳ないです(笑)。


 でもねぇ、警官の役所的な対応って時々気になるときがあるんですよねぇ。どういうケースか、って言うと、彼らは自分が今やってる任務以外の事にはほとんど頓着がないんですよね。今回もこの婦人警官はただ単に交差点で信号が変わるとピーッと笛を鳴らして横断歩行者保護のために棒を使って車を制止するのが彼女の仕事。だから信号無視で通過した車を制止したり、ましてやナンバープレートを記憶して後日出頭を求めるなんて事をするわけがないのです。


 こんな事もよく見かけませんか、例えば一方通行道を逆進した車両を取り締まるために一方通行の出口に警官がいることが。これなんか明らかにおかしいんですよね。一方通行逆進って、ものすごい危険な行為なんですよ。私も若いとき時々やったことがあるんですが、知らない場所に行ったりすると自分が全く気が付かないで一方通行の道を逆に走ってしまうことだってあるんです。安全な車両通行や事故防止を警察が考えているのであれば入り口側で予防的に取り締まるべきじゃないですか。それをね、警官が出口で違反車両を待ってるなんておかしいじゃないですか。明らかに違反車両のキップを切るためだけにそこで待っているのであって、事故が起きるかも知れないって警察だってわかっているのにわざわざ危険な違反行為を最後までやらせるなんてどう考えてもおかしいですよ。まあこのケースでは警官にとって結局事故防止よりも違反車両取締の任務を行うことしか頭にないわけで、警察官という職業の意義からすれば明らかに間違った取締方法です。でもこんなことでもし逆進してきた車が事故でも起きたとしたら、警察は何やってんだ、って話ですものね。


 また私が前の会社で新入社員だった頃、その会社の前会長か誰かが亡くなって社葬をしたときも同じようなことがありました。その時は多くの参列者が予想されたので千里中央から葬儀場まで警官が交通整理にあたっていましたが、その警官の前へノーヘルのミニバイクが向かっていきました。当然そのバイクを警官が止めるのかなぁ、と思ってみていると何とスルーです。何も見ていないふりをするんですね、警官が。その時私は思いましたね、つまり警官は自分の任務以外のことは一切積極的に関与しないのだ、と。でもね、同時にこうも思いましたよ。「じゃあもしかしたら、この警官は目の前で交通事故が起きて人がはねられていても何もしないかも知れないな。だって彼の任務は葬儀参列者の交通整理であって、目の前で起きた事件の対応じゃないから。もし彼の目の前で人が刺されても一緒かも知れないな。」と。


 結局ね、まあ自分が従事している任務が大切だって言うことは良く分かるんですが、目の前を明らかな違反で通り過ぎていった奴くらいは応用効かせて捕まえろよ、って言いたいんです。同じ事象・違反行為に対する対応があまりにその時々で違いすぎるから我々の警察官に対する信頼も薄らぐわけですよ。日本は今でも役人天国だと思いますが、それは仕方ないとしてもとりあえず同一の出来事に対する対応だけは徹底して統一しておいて欲しいと思いますね。あまりに気まぐれな対応をされると不公平感と不信感が募るだけですからね。ましてや罪を取り締まるはずの警察官にはそのことを強くお願いしたいですね。

子供の名前

2008 - 01/17 [Thu] - 08:39

 私に子供ができたころからずっと感じていることがあります。それは子供の名前についてですね。親が子供に最初にしてあげることで最も責任を持って行うべき事、それが子供の名付けです。何故なら名前は生まれたときから死ぬまで一生その子供に付いて回るもので、その子供の人生にとても大きな影響を及ぼすものだからです。変な名前を付けてしまうと将来「何で私の名前はこんなに変なの!」って子供に文句を言われますから尚更責任重大です。


 最近は子供の名前を文字の意味ではなく音で選ぶ親がとても増えているように感じます。確かに可愛い名前は今っぽいですし、個性的なものを選ぶことはその子供の人格を際立たせることができるかもしれません。でもたかが名前で、と思うかも知れませんが、名前はその人の人生を決めるのです。だから自分の子供に「可愛いから」という理由だけで安易に名前を付けることはあまり良いことだとはは思いません。


 試しにニュース新聞でいろいろな事件、それも事故とか通り魔とか殺人とか、そういった事件の被害者の名前をよく調べてみてください。そうするときっとその中に珍しい名前、つまり「この字はどう読むの?」とか「なんでこんな変な名前なの?」思うような当て字の名前が多い事に気が付くと思います。つまり名前の字の意味や字画などを一切考慮せず、音の可愛さだけで字を当てはめただけの安易な名前の持ち主はあまり良い人生を送らないのです。確かに昔と比べると可愛い名前が増えているので確率的にそのように見えるだけだ、という意見があるのは承知していますが、それにしても多すぎる気がするのです。何か大きな事件でそういう名前を被害者で見つけるたびに「そんな変な名前を付けるからそうなっちゃうんだよ。」とつい思ってしまいます。


 一方、いわゆるお金持ちの家庭の子供には、古めかしいけれども何か意味が込められていそうな名前が多い事にこの仕事をしていて気がつきました。もちろん名前と経済状況の関連や犯罪との関連性については、ただ単に安易に音だけで子供の名前を選ぶような親はそれほど知的でなく経済的にもあまり豊かではないので、生活環境も比較的悪く子供が犯罪に巻き込まれ易いのだ、という仮説は言えるでしょう。また金持ちに古い名前が多いのは経済的に立場が強い祖父母の意見が反映されるからだ、と言う仮説も成り立つかも知れません。


 しかし私がこんなことを言うもう一つの理由として次の事を挙げることもできます。それは「名前にはその人の霊が宿っている」ということです。これはまだ私が高校生だった頃の話ですが、私の同級生にお寺の息子がいて彼が休み時間にとても面白い事を私にやって見せてくれたのです。それはどんなものかと言えば、名前からその人がどんな人かを言い当ててあげるというもの。ゲームみたいなものだったので私も最初のうちは面白半分でいろいろな人の名前を書いて楽しんでいたのですが、ある友達の名前を見てもらった時に「ああ、こいつは地元の奴じゃないな。」と言われてとてもビックリ。


 この友人は中学までは私と一緒だったのですが、確かに既によその県に引越をしていたのです。この名前は地元にもある名前でしたし、他の名前では決してこのような事を言わなかったのにです。そのため彼に「いやぁ、ビックリしたわ。でも何でそんな事が分かるの?」と尋ねたところ、「それは名前からその人の霊を見るからだよ。いつもこうやって修行してるんだ。」と答えが返ってきました。また彼は「名簿を見ながら『こいつはどんな奴かなぁ』っていつも考えてるよ。それとな、こうやるとその人の性格、背格好、人生から寿命までわかるんだ。まあ、寿命は本人には絶対言わないけどな。でもいつも誰かの名前を見ては『あぁこいつ何歳で死ぬなぁ』って思ってんだよ。」と笑いながら教えてくれました。それ以来私は人の名前には霊が宿っている、と考えるようになりましたし、名前にはそのような力があるのだからあまり安易に考えてはいけない、と考えるようなったのです。


 まあそんな話は別にしても、どうせ自分の大切な子供に名前を付けてあげるのであれば、その子が一生背負うにふさわしい名前で、両親のその子の幸せを願う想いが込められた名前を付けてあげたいものです。「名は体を表す」と言いますが、本当にそうなのです。何故ならその名前に込められた深い想いはやがてその子供本人にも伝わり、その名前に恥じないように生きようとその子供自身が無意識に行動するからです。だからあまりに立派な名前を付けると名前負けする、と言われる理由もこう言った無意識の行動との関連で説明できますし、いい加減に名前を付けた子供がいい加減な人生を送ったり不幸に巻き込まれ易いのもこう言った理由によるのではないでしょうか。


 そういうことで今から自分のお子さんに名前を付けようと思っている方々には、十分に考えて良い名前を付けてあげる事を希望しますね。子供はあなたたちのおもちゃやペットではないので、面白半分で名前を付けるような愚だけはやめてあげてください。是非ともあなたの子供が幸せな人生を送れることをあなたが願い、その想いがたっぷりと込められた名前を付けてあげてください。そうすれば必ずその子供は幸せに育ちますよ。

C型肝炎薬害訴訟解決の件

2008 - 01/11 [Fri] - 07:21

 C型肝炎訴訟問題、大きく解決に向けて動きましたね。長年に渡り大変な訴訟活動を行ってこられた原告団の皆さん方には本当に頭が下がります。ご自分達には何の落ち度も無いのに肝炎・肝硬変、そして肝臓癌へと進行していく病気に罹ってしまうとは物凄い恐怖であり、その憤りは想像を絶するでしょう。


 しかし議員立法でやればすぐ出来たじゃないですか。あれだけ煮え切らない対応をしていたのに、ほんの一ヶ月ほどで全会一致で可決ですよ。こんなに簡単に法律を作ることができるのであれば、何でもっと早くやらなかったのでしょうか。その気になればすぐ出来るんじゃないですか。「判決を尊重して」などと屁理屈をこねてセコい和解案を提示していた当初の姿勢は何だったのでしょうか?


 まあ、衆議院選挙もそう遠くないと噂されていますから首相も選挙を睨んで議員立法を選択したのは想像に難くありません。野党だって法案に反対することは選挙対策として得策ではありませんから当然のように賛成です。こうできる事など議員達であれば分かっていたはずなのに、選挙に絡めたこの時期まで延ばすなんて相変わらず「政治家って連中は!」って言いたくなりますね。


 しかし一方で政治家にはこれだけの力があるのだということをまざまざと見せ付ける場面でもありましたね。選挙の事をまず第一に考えていることが政治家の最大の欠点ですが、票が取れると分かったときの彼らの力は凄いものです。勿論これぼどの大きな事件ですから、政治家と役所の間で事前にすりあわせは行われていたでしょう。


 裏話はいろいろとあるでしょうが、こんな結末に落ち着くのであればもっと早くやっておけば良かったのにな、とやはり思いますね。これほど多くの被害者を長年泣かせた上に、やればすぐできる事を自らの選挙に利用するとは流石に利に聡い政治家ならではですね。


 今回の件は結果ハッピーと言えるかも知れませんが、政治家と官僚の凄まじいまでのエゴと狡さを見せ付けてくれた事件でもありましたね。

そろそろ日本経済の転換期?

2008 - 01/06 [Sun] - 03:16

 最近の日本の経済状況などをみていますとやや袋小路に入って来ている感じがしますね。私が思いますにこの状況を改善するには物事を反対方向に振らせるしか無いと思いますね。


 どういうことかと言いますと、日本で現在主流になっている考え方を止める必要があるのではないかということですね。と言っても今の考え方が間違っているというわけでは無く、何事でもそうですが過ぎたるは及ばざるがごとしで、やり過ぎは修正しなければならないということなのです。


 何が行きすぎているのかといえば、脱談合、規制緩和、価格競争、経済至上主義などに代表される所謂「クリーンでフェアな」自由経済のありかたですね。ハッキリ言って自由・競争と言えば聞こえは良いのですがそれに皆すっかり疲弊しているのです。


 こういうアメリカ型の経済スタイルやグローバル化は響きは良いですがやっていることはゴールと勝者のない生き残り競争のようなもの。勝ったと思ってもいつ敗者になるかわからない不安におびえながら過ごしています。


 だからこういった過度の競争社会からそろそろ転換する時期にさしかかっているのではないかと思うわけです。資源の無い日本が世界規模の競争に巻き込まれることは国家の衰退を意味します。私は以前から疑問に思っていたのですが、果たして日本はこの国際大競争の舞台で戦う必要があるのでしょうか。どう考えても勝てる見込がないのに戦いに参加するのは第二次対戦と状況が同じだと思うのです。あの時も無謀な戦いに歯止めの効かない状態で臨んで敗れ、今回は世界経済戦争に負けが分かっていながら参加している。バブルの時までの驚異的な経済発展はまるで第一次世界対戦で図に乗ったのとよく似て見えます。


 マスコミではこのグローバル化の中で勝ち抜くことが唯一の正解であるかのように言われます。東京マーケットを世界から魅力的なものにしなければ世界の投資マネーからソッポを向かれると危機感を煽ります。そしてこれらの問題を解決する為にはさらなる市場開放と合理化が必要と言います。しかし分かりやすく言えば市場開放とは外国勢を含めてもっと多くの人達で競い合って安い価格で自由にやれということであり、合理化とは安く早く仕事をやれということです。確かにこれらのことは大切なことなのですが、これ以上これらのことを頑張っても一体誰が幸せになるのでしょうか?外国人労働者を多く受け入れて安く製品が作れるからといって日本や日本人が幸せになれるのでしょうか?


 そりゃあ勝てる人達は勝ちますよ、どんな時代でも。でも勝ち残る人達の数は圧倒的に少ない社会になりますよ、このままいけば。それでいいんでしょうか。私はそろそろ今の勝ち残り経済スタイルから共存共栄経済スタイルへ揺り戻すいい時期じゃないかと思うのです。勿論談合や政府主導の価格管理を始めとする共存共栄経済スタイルには多くの問題点があるのは事実なのですが、しかし現在の行き過ぎた競争社会よりはマシに思えるのです。


 日本は日本独自の経済スタイルを模索していけば良いと思うのです。別に他国の真似ばかりしなくてもよいと思うのです。そんな甘いことを言っていると日本は競争に負けてしまう、と経済学者に怒られそうですが、じゃあ反対にその国際競争に勝ったら我々は幸せになれるんですか、と問いたいですね。たとえ経済で勝ち残ってもほとんどの日本人が貧乏で不幸であるなら勝ち残る意味が無いように思うのです。日本という経済活動拠点が国際競争で勝ち残っても富が外国人に根こそぎ持っていかれてしまったのでは意味が無いように思うのです。


 だから私は今この時代は日本人が日本の中で富を共有し、富を回し、富を外国に流出させないような経済システムを構築すべき時期であるように思うのです。グローバリズムに反する、とお叱りを受けそうですが、そもそもグローバリズムとは強者の論理なのです。弱肉強食のような国際競争の中で勝ち残って行くことができる国力や資源に恵まれた国が他国の市場を開放させて草苅場にするための方便なのです。日本はそんな資源も軍事力も絶対的に有利な国際競争力も持っていないのだから弱肉強食のグローバリズムに巻き込まれるべきではないのです。


 極端な話をすれば、江戸時代のように鎖国を行うのも良いかも知れません。勿論現在は江戸時代と違って様々な商品を輸入し、製品を輸出しなければ日本の経済も日本人の生活も成り立たないようになっていますので暴論ではありますが、しかし金と物の国際間の動きを可能な限り管理して国際収支をゼロに近づけるように持っていくことはできるかも知れません。なにしろ歴史を振り返れば国際間での争いの元は領土問題か国際収支の不均衡と相場が決まっています。そのうちの一つを管理貿易によって防ごうというわけです。またこうすることで日本国内の富が海外に流出することを防げます。結局のところ、富が海外に流出しなければ日本人全体で見れば貧しくならないのです、物価と物資さえきちんとコントロールすれば。これは実は私がまだ企業で貿易をしていたころからずっと考えていたアイデアで、いよいよこれを行うべき時期に日本がさしかかったのではないかと思います。


 つまり今の状況は自由が行きすぎて全てが不安定な状況にあるわけです。自由経済主義には確かに良い面が沢山ありますが、今までの歴史が示すように絶対的に正しい社会システムは存在した試しはありませんし、どのように優れていると思われる社会システムでも必要な修正や揺り戻しはあるほうが望ましいように思うのです。


 日本にとっては今がその見直し時期ではないかと思います。日本の経済上のライバルはちょっと前のように欧米の経済先進国だけではないのです。BRICSをはじめ経済発展国の脅威は並大抵ではありません。しかも日本は史上初めて自分達より物価の安い国々と国際市場を舞台に戦うのです。しかしながら私には価格競争力も資源力も乏しい日本がこの厳しい競争に勝ち抜けるとはとても思えません。


 いきすぎた経済至上主義を見直し日本社会に合った経済システムを見つけださなければ、日本は本当に取り返しのつかないズタズタな状態になってしまうのではないかと多いに危惧するこの頃ですが、賢明な方々が日本を救ってくれるシステムを見出だしてくれる事を期待しています。

筋肉を鍛えよう!

2008 - 01/04 [Fri] - 06:49

 ここ数年体の具合がイマイチすぐれないなぁと思いながら過ごしてきたのです が、ふとこれは自分の筋力が落ちているからではないのかと言うことを思うよう になりました。元々腰痛持ちである私はそれでもなんとかごまかしながら過ごし てきたのですがここ数年腰痛の具合もスッキリしないことが増えてきました。


 そうこうしているうちに最近飛び込みでやってきて事務所のお客さんになって 下さった会社の社長は御歳オーバー80歳。しかしかくしゃくとして表情にも覇 気があります。聞けばほぼ毎日スポーツクラブに通ってウエートトレーニングや 水泳をしておられるのだとか。なるほどな、と思いながら我が身を振り返ってみ るとあまり筋力を鍛える運動をしていないことに気が付きました。


 確かに心がけてよく歩くようにはしていますが、しかしそれが筋力維持にまで 役立っているかと言われるとそれほど役立っているようには感じません。その社 長曰く「歳と共に筋力の衰えを早く感じるようになる。だから歳を取ると頻繁に 鍛えておかないとすぐに衰えてしまう。」とのこと。なるほど、私も20?30 代の頃のような感覚で筋力が有ると考えるのは間違っているのだな、とふと思い 立ちました。


 なにぶん腰痛を予防するためには体全体の筋力、とりわけ足腰の筋力を付ける ことが肝要です。腰の関節や骨に必要以上の負担をかけないために筋力を鍛えて 体を支えてやる必要があるわけです。ですから若い頃からそうやって腰痛防止の 運動を行ってきたつもりなのですが、やはり40代になって今まで通りの鍛え方 では筋力の衰えの方が先立ってしまうのでしょう。


 そう思い立ってからゴムバンドや軽いダンベルを使って体全体の筋力を鍛える ことにしました。それと最近の生活で特に感じることがなくなったのは「もーダ メ、堪忍して」というほどの苦しさに耐えるほど筋肉を使っていないということ。 これは日々運動をしていないこともありますが、やはり意識しなければこういっ た運動はできないんですね。こういった限界近くまで筋力を使うことで筋肉は破 壊され、そしてその後再生することによって筋力がアップすると何かの本で読ん だ気がしますが、正にそういう訓練をしていないからこそ体全体の筋力が衰えて いっているのでしょう。


 そういえば最近あまり背筋も伸びていないような気もしています。元来姿勢は いい方であった私の背中が丸くなりかけているのは腰痛防止のためだけでなく、 背筋が衰えているためかも知れません。そんなこんなで先ほどのお元気な社長に お会いしてから自分の体を鍛えるということの意味を改めてよく考えるようにな り、体を痛めない範囲で自分に効果的な筋力トレーニングを行う必要性を痛感し ている次第です。


 なんといっても体を動かしているのは体中の筋肉ですからね。人間の体は筋肉 によって維持されているといっても過言ではないわけですから、健康に動くため には筋肉を適切に鍛える必要があることは当然であるわけですよね。


 頑張って筋力アップ、健康体維持に努めることが大切ですよね。我々のような 自営業者にとっては特に。

スピードマスター・プロフェッショナル

2008 - 01/04 [Fri] - 02:46

 私の最も好きな時計の一つにオメガのスピードマスター・プロフェッショナルがあります。有名な時計ですからご存じの方も多いと思いますが、このモデルのバックスケルトンモデルが私にとって一時期憧れの時計であったこともあって十年ほど前にウォッチマンという時計屋で購入しました。

 このウォッチマンという時計屋もちょっと前に倒産してしまって今はなくなってしまいましたが、国産からパテック、フランクまで取りそろえており、その割にとても気さくな店だったので大好きだったのですが残念なことになりました。

 さてそのスピードマスターですが、最近のモデルは風防がサファイヤガラスになっているようですが私のは古典的なプラスティックの物です。確かにサファイアガラスは傷が付きにくいのですがプラスティックの方が昔ながらの雰囲気を残していて個人的には好きですねぇ。まあその当時はそういうモデルしかなかったのですから他に選択はなかったのですが・・。

 ところで私は中に入っている機械がどうの、とかこの仕上げがどうの、とかそういった時計に関するウンチクは垂れないことにしています、その辺のことはよく分かっていないので素人が知ったかぶりするのもなんなので。

 そんなことよりも私にとって時計を選ぶ基準はほとんどデザインと長く使えるかどうか、の二点。だから新進気鋭のメーカーの時計はどれほど評価が高くても修理の心配があるので基本的には冒険しませんし、ロレックスをあまり欲しいと思わないのはデザインが好みではないからです。

 このスピードマスターは先ほどのウォッチマンのショーケースに裏を向けて飾られており、お店に行くたびにその磨かれた金色のムーブメントがとても美しく見えて凄く魅力的でした。また文字盤側から見たデザインも私にとってはこの上ないデザインに思えました。

 ごちゃごちゃしていないシンプルな文字盤、精悍な黒いフェイス、セクシーなプラスティック風防とケースのバランス。全てが私の好みでしたね。ということでこのスケルトンモデルを買ったわけです。今のモデルは定価がロレックス並なので聞いてびっくりしますが、以前はそれほど高い値段ではなかったですからね。でも本当の本当に私が好きなデザインの時計はオメガに多いですね。

 このスピードマスター然り、そして今でも私の理想の腕時計のデザインは60年代ごろの金属ブレスレットが付いているシーマスターですからね。コンステも好きですがケースと12角形の文字盤の角張ったデザインがちょっとだけシーマスターと比べて好みではありません。だから今でも古いシーマスターをオークションなどで良いものがないか物色し続けています。

 ところでこのスピードマスターはサイズがでかいので背の低い私にはあまりビジネス向きではなく、仕事の時はあまり身に付けません。ただ大事にしまい込んでおくというのも私の性ではないので休みの日などになるべく使うようにしています。

 私はどんなものでも自分が使うことを前提に購入しますので、転売の時の価値が下がらないようにケースの裏にシールをつけたまま使うとか、ケースやベルトに傷が入ることを恐れて使わないとか、そんなことは絶対にしません。だからどれほど好きで大事な時計でも必ず使います。まあ前述しましたとおり私が買えるような時計はそんな高級品でもないですしね。

 でも私が持っている時計はどれも私にとっては値段にかかわらずお気に入りの時計ですね。ただこのスピードマスターに関しては現実の話として一ヶ月に何回か腕につける程度なので10年以上使っていてもあまり傷が入っていないのは事実です。

 しかしこの時計も買った当初は一日必ず30秒程度時間がずれるし(数日動かすと必ず数分狂うのでこの値段の時計としては信じられないほど精度が悪かった)、クロノグラフも動いたり動かなかったり(あまり機械式のクロノグラフは動かすものではないと知ったのはその後)で「意外とボロいな」と思っていましたが、3年ほど前にゼンマイが切れちゃってオーバーホールをしてもらったおかげでそれまでの諸問題も奇麗に直りました。

 近所の時計屋の親父に修理の相談に行ったとき「こんな最近のクロノグラフは修理するよりユニットを交換した方が早いし安いから、ちょこちょこ修理するよりいいよ。」と言われて結局買ったウォッチマンでメーカーに修理に出してもらいましたが、実際メーカーもそうやって修理したのでしょう。

 このスピードマスターを買ってからはもう私に手が出せそうな値段で欲しい時計はなくなってしまったので、その後の時計は例のキングセイコー以外増えていません。あと私が欲しいのはフランクとかパテックとか、オメガの古いシーマスターとか、そんなベラボーに高い時計かあまり出くわさない古い時計しかないので、まあ私には買えないわけです(笑)。今はキングセイコー復活に興味が移っていますのでわくわく状態ですし、再び腕時計への興味が沸々と湧いていますが、それも終わればまた平穏な日々に戻ることでしょう(笑)。

 話はがらっと変わりますが、それにしても懐中時計のホームページを見ていて見つけたこのサイト、恐ろしいです。このページに掲載されている時計と同じものが購入できるのだとしたら(多分できると思う)、これを転売する輩からオークションなどで騙される人も少なくないのでは?こんなサイトが野放しだとすれば、他国での日本製品のコピー商品や著作権侵害物などについて日本側も偉そうには言えないでしょう。

 まあいつまでアドレスが残るかわからない胡散臭いことこの上ないサイトですが、私もお遊びでこのGMTマスターを買ってみようかな、と思ったところが我ながら情けない(笑)。そう思わせるように価格設定してあるあたりがこいつらの狙いなのでしょうが、まあニセもんをニセもんと知った上で買って喜んでいるのは所詮その人自身もパチもん。

 一万円の機械時計などどうせ1年ほどで動かなくなりますし、こんなパチものなど当然オーバーホールなどどこもしてくれません(無論仮にできたとしてもオーバーホール代の方が高い)。こんなもの買って最初は喜んだって、何ヶ月かすれば美味しいステーキでも食べた方が良かったと後悔の念にかられそうな予感。と、言うことで冷静な判断をして何とかオーダーしないで済みました(笑)。

 でも若い人たちの中には洒落でこんな偽物を買って友達の前では本物だと自慢する輩も多いのではないでしょうか。大阪のアメ村あたりの怪しげなショップをうろうろしているようなナンパな若い人たちの中には結構こういうニセブランド品で見栄を張っている連中もいるのではないかと思ってしまった今日この頃です。

 そんなこと言ってるとニセブランドをしてナニが悪い、と言われそうですが、先ほども言ったように偽物をして喜んでいられるその精神、考え方が人間としてちょっと問題よ、って言いたいのです。日本の将来を担う若者が偽物持って喜んでるようじゃダメよ、もっとしっかりしろよ、とそういうことですね。「安物買いのゼニ失い」いい諺ですよ、ホントに。この言葉にはその人の人生そのものを表す深い意味が有るんですよ、実は。

明けましておめでとうございます。

2008 - 01/03 [Thu] - 12:37

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 今回は趣向を変えてケータイから投稿してみます。私も遅ればせながらケータイを持つことになり、色々と利用法を考えているんですが、まあパソコンと比べると使いにくいですね。

 確かにこんなに小さな機械でインターネットやメール、はたまたこうやってブログ投稿まで出来るってえのはある意味凄いのですが、にしても文字が打ちにくい。

 若い方々はケータイの文字入力方法にも慣れておられるのだと思いますが、我々のようにパソコンから入ってきた人間からすれば打ちにくくて仕方ない。

 まあ私も使い込んでいけば速く打てるのかも知れませんが、パソコンのキーボードの速さの比ではないですもんね。仕事のメールが来た日にゃあ返事を打つのが憂鬱ですからね(笑)。

 これだけの文章を打つのに一体どれほど時間がかかっているでしょう。勿論娘と一緒にメジャーを見ながら打っている、ってえのはありますが(笑)。

 ということで、今回は入力練習を兼ねての完全にお遊びブログでお許し下さい。本年もよろしくお願いします。パソコンやケータイから頑張ってブログ入力します。

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当ブログにお越しいただきありがとうございます、税理士のもりりです。のんびりと、時々辛辣に日々感じたいろいろなことを自由に書いていきたいと思います。

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