税理士もりりのひとりごと

税理士もりりがぶつぶつと日ごろの出来事についてひとりごとを綴っていきます





  税理士もりりのひとりごとのナビゲーター   トップページ > 2006年07月  

スポンサーサイト

-- - --/-- [--] - --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

会計参与制度について

2006 - 07/31 [Mon] - 12:18

 会計参与制度について税理士会が普及に力を入れようとしている。日税連からもさまざまな冊子が送られてきている。それらの冊子などをみていると、税理士が会計参与の有資格者として会社法に記載されていることは画期的なことなのだそうだ。

 しかし一般的な税理士の感覚としてはどうなのだろうか。お金がジャブジャブと余って余って仕方がない顧問先の会社であればまだしも、そうでない普通の顧問先が税理士報酬以外にわざわざ会計参与報酬を支払ってまで顧問税理士に会計参与就任をお願いしてくるものだろうか。「会社法で会計参与という制度が出来ました。将来的に融資で有利なことがあるかもしれませんから当方を会計参与として就任させていただけませんでしょうか。就任には別途報酬が必要になりますがいかがですか。」と我々が顧問先にもちかけて、「そうですか、わかりました。」とすんなり就任させてくれるケースなど普通にありえるものだろうか。

 多分普通の税理士であれば、会計参与への就任はあまり現実的ではないと考えているだろう。就任しても何の報酬もないのであれば就任する側としても意味がないし、別に会計参与として就任しなくても現在でも取締役と税理士は相談しながら決算を行っているわけだから制度としてあらためて作る必要はなかったのではないかと感じる向きも多いだろう。

 確かに将来的には会計参与を就任させている会社に対しては金融機関が与信を高めて融資の条件が良くなることもあるだろうから、そういう効果は見込まれるかもしれない。だがそういう社会的状況が整ってから会計参与に就任すればよいではないか、という雰囲気も税理士としてはあるだろう。

 しかし、税理士界か何かの会報にチラッと書いてあったと思うのだが、本来的な会計参与制度制定の意図は別のところにあるというのが事実なのだろう。確か対談形式で書かれていた記事だったと思うが、それによれば会計参与制度は税理士と会計士の垣根問題から生じた住み分け政策であると。つまり会計士は「監査」という業務を行う関係上外部から会計をチェックする役割を担っているが、税理士には「会計参与」という制度を新たに作るから、税理士は会社の内部に取り込まれる形で入り込んで、会社の内側から会計をチェックする役割を担って欲しいと。そうすれば税理士と会計士の業務の分担が明らかになるでしょ、と。

 ということが会計参与制度の本質であるならば、対法人に関しては税理士は外部から税理士業務を行って報酬をもらうのではなく、今後は「会計参与」として会社の内部からより深く関わりながら会計及び税務を行うことで報酬をもらうべきである、ということになるのではないだろうか。であれば今後我々税理士は法人については顧問税理士としてでなく、会計参与として報酬をもらうように関与形態を変えていく必要があるということになるわけだ。

 会計参与制度の本質がそこにあり、そうであるがゆえに日税連などが会計参与制度の普及を税理士に求めているのであれば、そういう本質論と将来像をはっきりと税理士に対して説明すべきではないかと思う。そうはっきりと説明してくれたほうが我々も理解し易いし、顧問先に対して説明が行い易い。つまり「今後は会計参与制度というものが出来ましたので、我々をその役に就任させてください。ただしこれは従来の税理士制度に替るものですから今までの税理士報酬を会計参与報酬として頂戴できれば結構です。」と言えるわけだ。これなら断る顧問先もそれほど多くないだろう。

 日税連や各単位税理士会からは会計参与制度が何のために出来たのか今ひとつ正確な説明がない。税理士の地位向上の為、というあいまいな表現がなされているが、その本質的な理由の説明がないので我々としてもこの制度をどう活用することが我々自身の地位向上に役立つのかピンとこない。

 しかしもし本当に上記のような会計士との業務の住み分け、役割分担の目的でこの制度が作られたのであれば我々もその趣旨をよく理解し、可能な限り早急に顧問税理士から会計参与就任へと法人への関与形態を変更させていくべきではないかと感じている。

スポンサーサイト

会計士と税理士の職域問題

2006 - 07/31 [Mon] - 03:56

 会計参与制度についてブログを書いたのですが、その後でほかのHPでどのような情報があるのか見ていたところ、会計士と税理士の業務問題についての公認会計士協会の公式の見解を見つけました。http://www.jicpa.or.jp/technical_topics_reports/999/999-20040115-02-02.pdf

 これを読んでおりますと、まあ凄いものですね、会計士側の税理士に対する考えというものは。私は今まで税理士側の意見はたくさん聞いてきましたし、個人の会計士の考えというものもいくつか目にはしてきましたが、このように会計士協会の公式見解としてのあからさまな税理士制度批判は初めて見ました。

 まあ要するに会計士側からすれば、自分たちの方が制度として古い、独占権を与えられているのは世界中で弁護士、医者と会計士と相場が決まっている、税務申告なんか誰がやってもいいはずで税理士なんて資格は要らない、自分たちの方が税理士よりずっとレベルの高い仕事をしている、と言いたい放題です。

 しかしこうも言っています。残念ながら税理士会はその「強大な政治力」を背景に税理士の業務拡大を図ろうとしていて、事実会計士協会は政治的に押し負けていると。なーんだ、やっぱり税政連はすごい政治力を持ってるんじゃないですか。以前のブログに書きました通り、「お金がない、助けてください」と税政連は税理士会員に対しては言っており我々も「ふーん、そうなの」程度にしか思っていませんでしたが、外部から見たら税政連はものすごくお金と力をもった立派な圧力団体だった訳ですね。さすがに元国税局長などのOBが所属している組織だけあって、役所や政治家に対する力は会計士協会よりずっと強いのでしょう。

 でもだったらその強大な政治力を使っていち早く税理士と会計士の資格統合問題に決着をつけてくれたらいいのにな、と思いますね。会計士協会側としてもこれほど恐れおののくほどの政治力を持った税理士会の会員が会計士協会に加わるのであれば鬼に金棒じゃないですか。

 今回の会計参与についても税理士会と会計士協会とで協力して制度として作り上げ、そしてお互いの領分を線引きできたじゃないですか。この調子で会計士協会も税理士会を取り込んで第三者的立場で企業の会計を監査すべき監査会計士と税務・経営をコンサルティングする税務会計士に分ければいいじゃないですか。

 と言っても会計士協会は嫌なんでしょうねぇ、頭の悪い税理士が数の力と政治力だけで自分たちの職域に入り込んでくることが。だから試験に合格した「頭のよい」会計士を鬼のようなペースで増やして自分たち自身で強固な団体を作り上げ、そして政治力も身につけた後は税理士をこの世から駆逐してしまおう、という算段なのでしょう。

 まあ会計士協会側の考えもわからない事はないですよ。立場が逆であれば同じことを私も考えるでしょうから。でもまあ会計士側がなぜ税理士を事あるごとに攻撃したがるのかがこの文書を読んでいてちょっとわかりましたね。なぜあれほどまでに社会的地位も高くそして収入も申し分ない会計士達が、大して金も持っておらず社会的地位もそれほど高くない我々税理士を目の仇にするのか我々自身ではよく分かりませんでしたが、実は会計士側は会計士側でOB税理士を多数抱え人数も多く政治力もある税理士はいつか自分たちの職域を侵すのではないかと恐々だったわけですね。

 でも安心してください。多分会計士が税理士の職域を不必要に侵して来ない限り、税理士側が会計士側の職域を侵すつもりはサラサラ無いと思いますよ。元々大多数の人が定年を迎えた方達の団体なのですから、超保守的でのんびりした組織なんですよ、税理士会は。変な刺激を与えない限り外部に対して吼えるような組織ではないと思いますよ。ただ変な刺激があると、超保守的であるだけに自分たちの職域を守ろうとありとあらゆる手を使うだけなんですよ。何しろ元役人が多いですから政治や役人の動かし方はよく知っておられますんでね。

 しかしそんなにお互いにお互いを恐れあっているのであれば、いっそのこと会計士側が言うように「世界中で類を見ない税理士制度」をなくして会計士に統一してくだされば良いんじゃないかと思いますがねぇ。もちろん税理士を上手にその制度に取り込んでくれるような仕組みを会計士側が考えてくれないと、彼らの恐れている「強大な政治力」によってその計画が頓挫したり会計士の職域が狭められる可能性が高いのでご注意を、とだけお伝えしておきたいとは思いますが。

 まあ、個人的にはつまらない論争だと思いますね、本質的には(笑)。

2年目を迎えたクールビズ

2006 - 07/26 [Wed] - 10:20

 クールビズは2年目にして岐路に立っている。小泉首相退陣と相まってクールビズに対する批判も昨年以上にマスコミで見かけるようになった。今日の日経の夕刊では作家にまで「偉い人くらいだらしないカッコ(=クールビズ)ではなくきちんとネクタイを締めて心意気を示せ」と言われる始末だ。真夏の暑い季節にネクタイを締めて汗だくになったことがあるのかどうかも分からないような人にそんなこと言われたかねえよ、という気もするが、世の保守層からは同じような目で見られているのだろう。

 以前のブログにも書いたが、保守層からの批判はある意味承知の上でのクールビズだ。幸い私の周りに私のクールビズを表だって批判する人がいないし、今年は私の親方もクールビズだし、当然税務署はクールビズ、まあ有り難いことではある。しかし取引先の中にはやはりきちっと皆さんネクタイを締めておられる会社もあるので、そう言う取引先にお邪魔する際にはこちらから「こんな軽装で申し訳有りません。」と先に詫びることにしている。

 いくら服装は自由でもいいじゃないか、といってもそこはやはりビジネスの世界。本音と建て前はある。もし私のクールビズが取引先の相手の心情を害しているとしたらそれはやはり本意ではない。かといって私もこのクソ暑い日本の夏でいまさら客先に行くからといってわざわざネクタイを締める気もサラサラない。であればどこに折り合いを見出すべきかと言えば、不快な思いをさせているかも知れない私の方から正装をしている先方に対して軽装の失礼を詫びてお互いの不愉快を少しでも軽減させるべきではないかと思ったわけだ。

 でも真面目な話、もうとにかく夏のネクタイ、背広は大変なのだ。そもそも汗をかいた首筋や背中がどれほど不快か。世の中には真夏にスーツとネクタイでも汗一つかかない人もおられるそうで、彼らに言わせれば慣れてしまうんだそうな。しかし私は20年近く勤め人をしているがついぞ一度も慣れることはなかった。私には夏のスーツネクタイ姿は苦痛以外の何物でもない。他人だって汗だくになっている私の姿を見て嬉しいだろうか、むしろ不快なのではないだろうか。

 それに夏のスーツネクタイ姿のせいでどれほど服の手入れにお金がかかってしまうことか。これは本当に冗談ではない。シャツはほぼ一日でダメになる。ズボンだって似たようなもの。これらを冬とは比較にならないペースでジャンジャンクリーニングに出すわけだ。それにちょっとクリーニングに出しそびれると着る服すらなくなってしまう。クールビズを始めるまではもうそれが嫌で嫌でしょうがなかった。

 まあとりあえずあとは今日の夕刊でも偉い作家の先生が「おしゃれでない」と指摘しておられたように、ビジネスにおける服装としてクールビズを定着させるためには、如何にセンス良く、かっこよく着こなすことができるかという点につきるだろう。何しろ小泉首相をはじめとする旗振り役の政治家からしてあのセンスの悪さだ。小泉首相がもう少しかっこよく着こなしてくれればいいものを、あれじゃあ保守層からの批判が高まるのは仕方ない。

 特に役所関係者や高齢の方々のセンスには辛いものを感じるが、去年は私も凄い社長を見たことがある。いくら奥さんと嫁しかいない不動産屋さんとはいえ、50歳代半ばとお見受けするその社長はTシャツ、短パン+ビーチサンダルだ。その様はまるで須磨の海岸で見かけるおじさんさながらで、ご丁寧にそれでシーマに乗って客先へ外出までしている。これにはさすがの私も「これぞ究極のクールビズ。来るとこまで来た。」と驚きを隠せなかった。

 まあ何はともあれとにかくビジネスで着る服なのだから、クールビズといってもなるべく相手に不快感を与えない服装ではあるべきだ。しかもなるべく涼しく、センス良く。センス良くクールビズを着こなしてビジネスをバリバリこなす人たちが増え、そして来年以降もクールビズが日本に、できればもっと世界にも広く受け入れられるようになることを願っている。

 とにかくまた来年から世の中が夏でもスーツにネクタイ、というのだけは本当に勘弁して欲しいと思っている。またクリーニングに服を出しまくる生活に戻るのだけはとにかくゴメンだ。

税理士試験まで残り1週間!

2006 - 07/25 [Tue] - 10:59

 さあいよいよ税理士試験まで1週間ほどになってしまいました。今頃インターネットを見て私のブログなど見ているようじゃ試験に勝てませんが(笑)、でももしご覧になっておられる方がおられたらその方々に最後の応援を差し上げたいと思います。

 なんか去年の今頃も同じような文章を書いていたような気もしますが、とにかく泣いても笑ってもあとたったの1週間です。1週間経てば好きなだけお酒を飲んで騒いでもいいのです。勉強もとりあえずやらなくて良くなります。

続きを読む »

節税策とは?

2006 - 07/15 [Sat] - 11:37

 節税に関する本や情報が沢山あふれていますが、もしかすると納税者の方々の中には「節税」という言葉を大きく誤解している向きも多いのではないかと思いまして今回は書いてみたいと思います。

 「節税」というくらいですから税金を節約(少なく)するという意味は間違いないわけです。ところが世の中の色々な情報に触れていますと多くの方々がこの「節税」の意味を余り理解されていないのではないかと思うことに出会うのです。

 どういうことかと言いますと、「節税」を大きく分けて2通りに誤解されておられることがあるということです。まず一つめは会社などでいえば今決算をしている期だけの税金が少なくなればよいと考えておられることです。確かに様々な節税策には償却を早く行ったり、損金に多めに落とせたりして税額を少なくするものがあります。しかしそれはその期だけの話であって、よくよく考えればその翌期の税額が上がってしまうものも少なくないのです。つまり税金の支払いが先送りされるもの、いわゆる課税の繰り延べが行われているだけのものが結構あるのです。

 世の中の節税策には実はこういったものが相当数含まれており、長い目で見れば支払う税額の総額はその節税策をしてもしなくても大して変わらないケースも少なくありません。もちろん手元の資金繰りの関係で当座の税額を少なくしたいと考えておられる場合には役に立ちますし、キャッシュフロー重視の考えからすれば支払はなるべく繰り延べるのがよいですから経営政策上それほど悪くない判断とも言えます。ただ支払う税額はそれほど変わらないのは事実です。

 それからもう一つは税金を減らす為には経費を増やせばいいと単純に考えることですね。もちろん経費が増えれば税額は絶対に減ります。そしてその経費が役に立つことであればまあそれほど悪いことではないかも知れません。しかし時々無理矢理交際費や消耗品費などにお金を使ったり修繕などを行うケースも少なくないんですよね。

 確かに経費が沢山増えれば税額は減ります。つまり「節税」になるわけです。しかしその無駄な交際費や修繕費にもお金を払わなければならないのです。だからこういう場合私はこう説明することにしています。「もし100万円の経費を使えば40万円税金は安くなります。でも経費の100万円はいつか会社から出ていきます。でももし100万円の経費を使わなければ税金は40万円増えますが、100万円の経費は支払わないで済みます。どちらが得ですか?税金が多少増えても60万円のお金は絶対に会社に残りますよ。」と。

 つまり税額だけに頭がいってしまい、何でもいいから節税のために経費を使ってしまえ!的な発想をされる方がまだまだいらっしゃるのです。しかしこんな「節税策」などキャッシュフローのことなど全く考えておらず、翌期の資金繰りを危うくするだけです。そんなことのためにお金を使うくらいなら税金にとられた方が余程ましです。何しろどんな税金でも100%の税率のものはありませんから、儲かったお金が全部税金に取られることなど無いのです。税金を払っても必ず手元に半分以上は残るのです。

 そうやってみていくと世の中で広く節税策と言われているものであっても、キャッシュフローを考えると全然トクになっていないものも少なくありません。結局本当の意味での節税策というのは、課税の繰り延べ策やキャッシュフロー無視のものではなく、永久に課税価格や適用税率を減らすことができたり、税額控除のように税額自体を減らすような策になるわけですね。つまり永久に手元のキャッシュフローを改善してくるものだけが本当の意味での節税策だと言うことです。

 そう言う目でもって我々が相談に来られる方々に対して対策を提示することが求められているのでしょうね。でないと節税策って言っても単なるまやかしですものね。割と何も考えていないベテラン事務員などがこんな「節税策」ばかり顧問先に薦めるケースも多いですから、所長先生も注意が必要ですね。

レクサスが1500万円のスポーツカーを発売!

2006 - 07/08 [Sat] - 06:00

 レクサスがヨーロッパで1500万円くらいの価格の超高級スポーツカーの発売を予定しているそうだ。なんでも日本で思うように販売が伸びず、ヨーロッパでもイメージがイマイチなのでてこ入れをしたいとのこと。

 新聞によれば日本でのレクサス車の販売は目標を大幅に下回っているらしい。最近のテレビCMを見ているとISの宣伝ばかりで、トヨタがレクサスの販売不振からものすごく狼狽しているのが手に取るように分かる。最も価格の安いISのイメージをとにかく頻繁に流し、「とりあえず一番安いISからいかがですか?」と売上最重視の姿勢がありありだ。きっとトヨタ社内でのレクサス部門に対する突き上げは相当なものがあるのだろう。

 現状から見れば、トヨタ自身がなんのためにレクサスを日本に投入しようとしたのかを完全に見失っているのではないかと思う。当初の目論見ではブランドに弱い日本人であれば、アメリカで高級ブランドとして大成功を納めたレクサス車を日本人の大好きなもてなしで売れば大成功を簡単に収められると思っていたのだろう。そして欧州車を超えるイメージを獲得し高い収益を確保したいと願っていたはずだ。

 しかしレクサスはトヨタが予想していたほど日本で受け入れられていない。以前私がレクサスに関して書いたブログでも触れたが、「レクサス車は美しくない」から高級車市場で全く受け入れられないのだ。なんのポリシーも、深みも、統一感も、セクシーさも、そしてオーラもないデザインの車が欧州車を見慣れたユーザーの審美眼にかなうはずがない。

 「乗れば良さが分かる」と日本のメーカーは考える傾向にあるが、欧州車をはじめとする外車を購入する消費者の本心は「他人が見ても、自分が見ても、かっこいいと思えるデザインの車に乗りたい」ということで必ずしも性能を重視しているわけではない。。

 だから彼らに性能や乗り心地をどれほどアピールしても絶対に日本車にはなびかない。もし性能で車が選ばれるのであればスカイラインGT-Rが、乗り心地で選ばれるのであればセルシオがとっくの昔に欧州車ユーザーを取り込んでいるはずなのだ。大体お金持ちの奥様方が性能やスペックで車を選ぶはずがない。

 しかしトヨタは「品質と価格を上げればブランド好きを取り込める」と市場分析し、デザインよりも価格戦略に打って出てしまった。結局いくら良いものを作っても誰にでも買える価格帯ではブランド好きにはそっぽを向かれてしまう。だからセルシオはベンツに勝てないのだ、と。じゃあセルシオを本当の金持ちしか乗れない価格帯に持っていってしまえばセルシオも日本でブランドになるだろう。

 ついでにアメリカで展開しているレクサスブランドをそのまま日本に持ってきて、全車種の値段を上げて販売すれば日本でも高級ブランドとして浸透するだろう。でも現行モデルをそのままレクサスに移管して値段を上げるだけではあまりに安易だから、モデルチェンジをした車種から順次レクサスに移管して値段も上げてしまおうか、と。しかもご丁寧に「もてなし」を前面に出した高級チャンネルまでお膳立てして高級化を消費者に訴求したのだ。

 ところがその分析の効果は見ての通り。トヨタの販売戦略がどれほど安易であったかが浮き彫りになるだけだ。なぜ今まで国内でトヨタが欧州車にブランドイメージで負けているのかという原因分析が全く根本から間違っていることがよく分かる。ブランドというものはどのような商品であっても一朝一夕にできたものではない。長年に渡る変わらぬ高品質、一貫性のあるデザインや商品イメージ、消費者から見た商品やサービスの印象、そう言ったものが複雑にからみ合ってやっと作り上げられるものだ。

 ところが今までのトヨタの商法がそんなブランド育成商法とは全く趣を異にしていることなど誰もが知っている。デザインが3年ごとに別物のように変わってしまう商品にどうして高級ブランドイメージが定着するだろうか。

 そもそも初代レクサスブランドの各車のデザインからしてアイデンティティが存在していないのだから、我々はトヨタのレクサス展開について最初から疑心暗鬼で見ている。そんなブランドなど端から信用できるはずもなく、レクサスというブランドを信頼するためには数年後に発表されるであろう第2世代の車を見てから、と考えている人も多いはずだ。

 それに先ほども指摘した「まず安いISから売ろう」という販売戦略自体が大間違いだ。なぜならISの価格帯は最も街でよく見かける欧州車と完全にぶつかるもので、デザインの良し悪しで車が選ばれる最大の激戦区なのだ。そこにあのレクサス車のなかでも最も安易なデザインのISだ。あんなものが欧州車を見慣れた消費者の心を動かすはずがない。全然美しくなく、全然魅力的でない。あんな車に乗っても全然自慢できない。そういう消費者の気持ちにトヨタは全然気がつかないでISの拡販をはかっているのだ。だからそのトヨタの販促に乗ってくるのは国産車ユーザーの乗り換え層だけで、欧州車ユーザーは全く乗ってこない。

 とにかくレクサスのデザインは全般的に全く深く練り上げられていない。もしあれが社内で時間をかけて練り上げられたデザインだとすれば、何をしたいのかさっぱり分からない。全く個性的でないデザイン。全くブランドイメージの定まらないデザイン。そして何より全く美しくない。だから街を走っていても誰も振り返らない。

 この度発表された1500万円の超高級スポーツカーのデザインにもレクサスとしてのアイデンティティはどこにもなく、「ただ単に値段の高いスポーツカーをデザインしてみました」という程度の出来。こんな美しくない車がフェラーリやマセラーティ、はたまたポルシェあたりの対抗商品になりうるかといえば、なれるはずがない。ただ美意識の低いアメリカ市場なら売れるだろうが・・。

 こんな商売しかできないのなら、もうトヨタも国内でレクサスを欧州高級車の対向車として販売することは諦めたらどうだろうか。今までのトヨタのクラウンやセルシオのようにおじさん好みの、おじさんが最後に乗る車としてシコシコ販売してシコシコ儲けていればいいんじゃないだろうか。

 所詮トヨタのような野武士に高級車を販売する忍耐はない。高級ブランドとして売り出したいのであれば、多少売れ行きが予定通りでなくてもとにかくイメージを死守して忍耐強くブランドの浸透に時間をかけていかなければならないのに、トヨタにはその忍耐が全くない。だからトヨタに真の意味での高級ブランドを作り上げることはできない。

 大統領のスーツ姿などを見ても分かるようにアメリカ人の美意識は本当に趣味が悪く、またアメ車自体がカスみたいな品質だからレクサスは短期間でもアメリカ市場で大成功を収めることができた。コストパフォーマンスの高さを強く打ち出せばデザインなど適当でも高級車分野でレクサスは成功を収めることができた。

 しかし日本人や欧州人にはアメリカ人よりももう少し高級品に対する審美眼がある。こんなつまらないデザインの車をなんで高いお金を出して買わなきゃなんないんだ、というのがメーカーの想定消費者群の偽らざる感想だろう。品質だけならトヨタでいいんだよ、それ以外のものを手に入れたいから俺達は欧州車なんだよ、という消費者の気持ちがトヨタは全然分かってないのだ。

 しかしどうしてもトヨタがレクサスを高級ブランドとして日本で育てたいのであれば、まずレクサス車の全てに共通したデザインを施すこと。しかも一目見てもじっくり見ても決して飽きの来ない美しく魅力的なデザインを行うこと。そしてモデルチェンジを行うときは絶対に前のモデルから継承した何かが漂うこと。社内にそのデザイン能力がないのなら国内外の優秀なデザインチームを使ってでもデザインの質を求めること。そして何があっても諦めずレクサスブランドのアイデンティティを追求し、それを浸透させることに一生懸命であり、簡単に方向転換をしないこと。これらに尽きるのではないだろうか。

 店舗でのもてなしなどどうでも良い。店での応対は金持ちに対して失礼のないごく一般的な応対ができればそれで十分だ。それより欧州車に勝ちたいのであれば、欧州車に勝るブランドを作り上げることだ。一年や二年でできたブランドなどすぐに消えていくのが常だ。長く利益を上げ続けているブランドは必ず長期に渡る地道な努力の積み重ねの上にできたもので、トヨタ自身それはよく分かっているはずなのになぜレクサスでは功を急ぐのか分からない。

 いずれにしてもトヨタは国内と欧州のレクサス展開については相当な困難を伴うだろうな、というのがこの1500万円のスポーツカー発売のニュースを読んで感じた感想だ。

北朝鮮のミサイルと日本の国防

2006 - 07/06 [Thu] - 10:24

 北朝鮮が日本海に向けてミサイルを7発発射しました。先方が何を意図しているか、ということは専門家に任せるとして、我々が考えなければならないことは今後再びこのような事態があった場合はどう対応すべきであるかと言うことです。

 こういう事態が起きると全ての国民が考えなければならないことは、日本の国防が現状でよいのかどうかということです。日本国内では先の戦争の苦い経験や戦後の教育や思想のせいもあって日本の国防を強化するような意見を発してはならないような雰囲気があります。しかも国際紛争はいかなるものであっても話し合いのみで解決すべきであって、決して軍隊に頼る外交は行ってはならないという思想が主流であるかのように見受けます。

 しかし今回の北朝鮮のミサイル発射を見ても分かるように現実には日本の周りには北朝鮮だけでなく、中国なども軍事力を背景とした圧力を利用して日本に様々な無理難題を要求してきています。しかも今回の北朝鮮のケースでは実際にミサイルを発射して威嚇してきているわけです。そのような国々と話し合いだけで外交問題が解決できるでしょうか。そのようなことをやっていると、どんどん外国から軍事力を背景に譲歩を迫られるのは目に見えているでしょう。

 今の日本はこのような外国からの理不尽な圧力に対して何ができるか、といえば何もすることができないのです。たとえ北朝鮮のミサイルが日本本土に着弾したとしても、外交ルートを通じての抗議しか対抗策はないのです。結局今我々が真剣に考えなければならないことは、主権国家として存在しているはずの日本が外国からの軍事圧力に対してなんの対抗策も持っていない状況で本当によいのか、ということなのです。

 もちろん誰だって戦争などしたくありません。誰も外国と戦いたいなどと思っていません。しかし現実に北朝鮮のような国が日本の近隣に存在している以上、国防や外交について理想論だけを並び立ててもただただむなしいだけです。現状では日本に北朝鮮からのミサイルが着弾した場合、日本に報復手段はなくやられ放題にやられるだけであって、仮に報復をするためにはアメリカに頼んで代理戦争をしてもらうしか手段はないのです。そんなので本当によいのでしょうか。

 非常に残念ではありますが、ミサイルが飛んできたときにはミサイルで迎撃するなどの軍備による国防は現実論としてはやはり必要といわざるを得ません。もちろん実際に使わないで済むことができれば理想なのですが、しかし何らかの有事の際には日本を他国からの侵略や攻撃から守る手段は配備しておかざるを得ないのではないでしょうか。それが近隣諸国に対して対等な外交を要求する日本の断固たる意思表示となり、海外からの侵略や攻撃を未然に防止する手段になります。

 こういった憲法9条関連、或いは国防問題について社民党や共産党は必ず猛反対しますが、今回の北朝鮮のミサイル問題については一切口をつぐんでいます。今までさんざん平和不戦主義という美辞麗句のもとに自衛隊の存在すら否定してきた経緯があるこれらの政党が今回のような現実に直面してどのようなコメントを発するのか個人的には大変興味があります。まあ、それでも彼らは「相手がどのような悪党であれ対話による解決を図るべき」という意見しか言わないことは容易に予想できますが・・。

 誰だって戦争などしたくないんです。しかし国家として主権を守っていくためには適切な国防力を持つ必要があるのは誰でも冷静に考えれば理解せざるを得ないのです。国防力は海外と戦うために持つのではなく、日本を守るためだけに持つのです。そこを冷静に議論し、国民一人一人が今回の事件をきっかけにして世界の現実を見つめた上で日本の国防に関し今一度考えてみたらどうかと思います。

 | HOME | 






プロフィール

もりり

Author:もりり
当ブログにお越しいただきありがとうございます、税理士のもりりです。のんびりと、時々辛辣に日々感じたいろいろなことを自由に書いていきたいと思います。

最新記事

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。