税理士もりりのひとりごと

税理士もりりがぶつぶつと日ごろの出来事についてひとりごとを綴っていきます





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ロンドンのテロで考えること

2005 - 07/23 [Sat] - 01:02

 ニューヨーク、マドリード、ロンドンと着実にテロがイラク戦争参加国を狙ってきています。余り危機感がないかも知れませんが、次は確実に東京になるでしょう。これもアメリカとの関係強化を強調したいがためにイラクに派兵したツケの一つではあるのですが、肝心のアメリカは果たして日本の味方になってくれるのでしょうか。

 国連改革でも日本の肩を持つことは一切せず、北朝鮮問題については日本など全く蚊帳の外で独自に裏交渉しているのがミエミエです。そろそろ日本も戦後60年間アメリカに騙されていいように利用され、骨抜きにされてしまった事実にいい加減気が付けば良いのに、と思いますが余り一般的な認識ではないようです。

 拉致問題一つにしても日本は単独では何一つ解決することができません。なぜならそれは日本には「最後のカード」がないからです。つまり「戦争をする」という事を放棄しており、防衛軍すら所有していないということです。それは近隣諸国からすれば日本はとことんいじめることができる相手であって、日本が少しくらい逆らってきても最後には「戦うぞ」と一言いえば日本が黙ることが承知されています。だからこそ北朝鮮、韓国、中国などはいつでも言いたい放題日本に対して言って来るわけです。

 そろそろ日本はアメリカからの戦後統治から真の意味で解放され、自国の判断で自国の利益と国際貢献に寄与できるような国家体制に移行すべきではないでしょうか。そのためには不用な戦争を行わないですむための適切な対外抑止力を持った国防軍を配備し、アメリカ軍に頼らないで済む国防を配備しなければなりません。誤解の無いように強調しておきますが、日本が防衛軍を配備するのは日本を海外からの侵略の脅しを受けないため、そして主にアメリカの行動に同調して巻き込まれる不用な戦争に参加しないで済むために、あくまで国を守って戦争を起こさないための抑止力とすることが目的です。今でもアメリカ軍が日本国中に配備されているのですから、アメリカという他国に守ってもらうのか、自国で守るのかという違いだけで、実態は何も変わらないのです。決して日本が軍国化するわけではないのです。

 戦後の朝日新聞と日教組による自虐性と自己否定だけを伴った左翼的思想の定着のせいか、はたまたアメリカによる思想統制のせいか分かりませんが、戦後の日本にはなぜか自分達の国を好きになり、大切に思い、歴史を重んじ、そして自分達の国の平和を自分達で守る、というごくごく当たり前の思想がかき消されています。戦後の左翼的思想ではこれらのことを考えること自体がタブーであるかのように思われがちですが、冷静に考えればこれらのことを自分達で考えないことの方がおかしいことにきっと誰もが気が付くはずなのです。

 それは戦争をするためでも、他国に侵略するためでもないのです。純粋に自分達が生まれ育った大好きな日本という国と我々の生活の安全を守るために考えなければならないだけのことなのです。自分達の国は自分達で守って戦争を行わないようにするのか、あるいはアメリカという他国に守ってもらう代わりに外交も全てアメリカ頼りにするのか。後者を選択するのであれば最近のイラク問題、北朝鮮問題、国連問題、京都議定書問題等に見られるように日本は自分の意志で意見を言うことはできないし、アメリカに裏切られれば何もできない状況になってしまいます。そこには日本の国益を重視した外交が存在する余地はありません。

 そろそろ日本人一人一人が戦後のアメリカ支配による弊害と歪みを真正面から考え、どうすることがこれからの日本にとって最善なのか考えていかなければならない時期にさしかかってきていると思います。その際には軍隊の所有、戦争の可能性といった戦後思想ではタブーとされている問題も本質論から問い直すことがとても重要なポイントになります。我々が日常の社会生活で経験しているのと同じように、国家、国際問題もきれい事を言っているだけでは何も解決されないことを良く理解し、その上でそれでも戦争を起こさない平和国家に日本をするためにはどういう体制づくりにすべきなのか良く議論される必要があります。

 もちろんそこには日本がこれからも独立した国家として存在すべきなのか、あるいはアメリカに吸収されるべきなのかという議論も排除されるべきではないと思います。とにかくあらゆるタブーを排除し、あらゆる角度から日本の国家像を再検討していかなければならない状況になっているのは間違いないと思います。なぜ日本がテロの標的になるのか、なぜ拉致問題で日本は明らかに被害者なのに強く出ることができないのか、なぜ中国が理不尽な発言や行動をとっても日本が何もできないのか、全ての理由は日本の国家像を見つめ直すことで分かってくるはずなのです。

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北朝鮮への経済制裁

2005 - 07/22 [Fri] - 02:10

 北朝鮮の拉致問題に関連して拉致被害者家族会などから北朝鮮に対し経済制裁などの強硬な姿勢を政府に求める声が高まっている。私も拉致された被害者が25年ぶりに日本に帰ってきた映像を見て涙が出そうになるほど、被害者本人とその家族の心の苦しみには理解をしているつもりである。自分の子供が突然目の前から消え、25年間必死になって探し回り、その間周りの人からは変人扱いされ、それでも探し続けた結果25年ぶりに突然目の前に帰ってきたのだ。その心労とご苦労は察して余りある程で、帰ってきて良かったというべきなのか、どう声を掛けて良いのか分からないほど壮絶な体験だっただろうと思う。

 もちろん被害者本人も常識では到底考えられない体験をなさってきたわけだ。きっとそれを日本で話すことすらはばかられる程ご本人の心には埋めがたい大きな傷として残っているだろう。戦時中ならともかく、この平和な時代にこのような想像を絶する非人道行為を行った北朝鮮という国に対して憎悪を感じることは日本人として当然であると思う。

 だからこそ最初の4人の拉致被害者とその家族は解放したが、それ以外の拉致事件についてのらりくらりと逃げている北朝鮮に対して経済制裁をはじめとする強攻策で対抗すべし、という意見が強くなるのはごく当たり前であると思う。だがこれから先は拉致被害を受けた日本人としての意見とは別に冷静な国際政治の問題として考えてみたいのだが、ハッキリ言って経済制裁などの強攻策は日本にとって得策になることはないのではないだろうか。

 まず考えて欲しいのは強攻策を採った場合にどのような影響があるのか、ということだ。当然に北朝鮮は態度を極端に硬化させるだろう。先方は恐らく今も拉致被害者を国内に抱えているはずだから、彼らの安全の保障を行わないことで日本に逆に脅しを掛けてくるだろう。そして中国や韓国も恐らく国民感情的に近い北朝鮮が日本から経済制裁を受けていることに関して猛烈に日本を批判してくるだろう。なぜなら中国や韓国などは拉致という人道的な問題の是非よりも、単純に歴史問題と絡めて反日という感情論で応戦してくるからだ。

 ではそうなった場合日本はどう出ていくのだろうか。きっと北朝鮮は日本を敵国扱いし戦争も辞さずという姿勢を明確に打ち出してくるだろう。下手をすると中国や韓国も敵に回すかも知れない。そのような状況で日本はどういう態度をとれるだろうか。北朝鮮が戦争をちらつかせる発言をした際に「それならやったろかぁ?」と言い返すことができるだろうか。中国や韓国も相手にしてだ。果たして日本は戦争をすることができるだろうか?

 当然のごとくそれは絶対にできない。憲法上も国民感情上も例え心底大嫌いな北朝鮮が相手であったとしても日本は絶対に戦争をすることなどないのだ。そこまでの展開が十分分かっているからこそ北朝鮮も日本に挑発的な態度をとることができるのだ。では日本にできることは何か?アメリカに助けを求めて代理戦争をしてもらうのか?イラクに自衛隊が応援しに行ったのだからアメリカが日本の意思を理解して北朝鮮を攻めてくれるだろうか?

 いやそれも絶対にあり得ない。アメリカは例え同盟国の日本の頼みであったとしても自国の得にならない戦争など絶対に行わない。なぜならアメリカにとって北朝鮮の拉致問題など全く問題ではないし、国内世論を動かす要因にはならない。多額の税金をつぎ込んでまで戦争をしても何のリターンもないし、そもそもアメリカが北朝鮮と戦争をする理由など何もなく、アメリカと中国の関係悪化を懸念した場合北朝鮮と戦争を行うことなど日本を利する以外何のメリットもない。それであればアメリカが北朝鮮を叩くことなど有るはずがないのだ。

 それにそもそもアメリカが日本を真の同盟国などと思っているはずがない。中国や韓国、北朝鮮が戦後60年経っても今だに反日教育を行っているのと同様、アメリカにとって見れば日本は同盟国であるどころか先の大戦でやっつけた敵なのだ。「同盟国」という表現を使えば日本人が喜ぶからそういう表現を使っているが、アメリカから見れば日本など属国以外の何物でもない。都合が悪くなれば日本などすぐに切り捨ててしまうはずだ。それは国連改革や京都議定書問題、はたまた東アジア諸国との交渉におけるアメリカの日本に対する態度を見ていれば理解できるはずだ。つまりいざとなればアメリカが日本を助けてくれると思っているのは日本だけであって、日本以外の諸国はアメリカも含めてそんなことこれっぽっちも考えていないのだ。

 さて話を元に戻して行くが、それでも日本は北朝鮮に経済制裁をするのか、と言うことになるわけだ。経済制裁を行った後の展開を考えれば、どう考えても日本は不利になりこそすれ有利になることはあり得ない。拉致被害者家族の方々には本当に申し訳ないと思うけれども、日本という国家の立場を考えた場合、拉致された数十人の国民を取り戻すために国民全体の生活を脅かすことを選択することは到底できない。北朝鮮に経済制裁を行うということは北朝鮮と戦争する気があるのか、と言う問いかけを日本国民に突きつけているのと同じ事なのだ。

 結局軍隊も所有していない、しかも他国に攻め入ることを認めていない今の憲法では日本単独で北朝鮮と戦争をすることなどできない。しかしながら北朝鮮は日本にミサイルを打ってくるかも知れないし、海上ルートで上陸作戦を展開してくるかも知れない。それに対し日本及び日本人はは対抗する意志を持っているのだろうか。

 くり返すがそういう状況になってもアメリカが日本を助けてくれる保証など何もない。条約などすぐに破棄すればよいのだし、それは世界の歴史を振り返れば容易に理解できることだろう。そこまで考えた上でそれでも北朝鮮に対して経済制裁を行うことが得策なのか、という問題なのだ。

 私は拉致被害者家族の方々には深い理解と同情を感じているが、経済制裁行使の主張についてはどうしても同意することができない。結局日本は海外と事実上戦うことができないという憲法9条が悪意を持った外国からつけ込まれているのだ。悪意を持った第三国に対してまで日本は黙って非戦を守らなければならないのか、あるいは戦うのだとすれば憲法をどうするのか、その時の軍隊はどのようにして召集するのか、その時アメリカや中国、韓国との関係はどのように調整できるのか。とても重い多くの問題を解決しなければならないのだ。

 北朝鮮への経済制裁は実に重い課題を日本に突き返すことになるわけで、だからこそ政府首脳は簡単に「経済制裁実施」というカードを切ることができないのではないかと私は考えている。結局残された交渉は強攻策によらない拉致問題解決の方策を見つけるしか考えられないわけで、そこが国民から見て弱腰外交に見えてしまうのだが、国家の利益を総合的考えた場合これが精一杯の交渉手段にならざるを得ない苦しい立場もあるのではないだろうか。

芦屋ラーメン

2005 - 07/18 [Mon] - 03:15

 今日久しぶりにラーメンを食べに行きました。どこというあてなく食べに行ったのですが、以前から話題にだけはなっていた芦屋ラーメンを食べたことがなかったので、とりあえずそこに行ってみようということになりました。店に着いたのが夕方4時前で、さすがに行列もなくすんなり席に着くことができました。

 実はこのラーメン屋、開店直後からその存在は知っていてずっと興味は持っていたのです。ところがこの店の近所に住んでいる友だちにこの店の味を訊いたところ「うーん、たいしたことない。」という答えをもらっていたし、他の芦屋にあるラーメン屋さんに行っても全然大したことなかったのでこの芦屋ラーメンも単なる話題先行型のお店だろうとずっと思っていました。

 ところがラーメンを食べてみると、想像とは全然違っていけるじゃないですか。私は本当にこの近辺に美味しいラーメン屋がなくてほとほと困っていたのですが、芦屋ラーメン全くオーケーです。本当は以前に三宮にあった「三馬力」という豚骨ラーメン屋が神戸界隈ではベストだったのですが、それが震災後なくなってしまってその後釜になる店をずっと探していたのです。

 私は特に味にはこだわりません。醤油でも、塩でも、豚骨でも、美味しければ何でもいいのですが、その「美味しい」ラーメンに出会わないこと、出会わないこと。スープが美味しくても麺がダメだったり、その逆だったり。神戸に来てから三馬力以外の店でこのバランスが取れている店に出会ったことがありませんでしたが、芦屋ラーメンは大丈夫です。

 一緒に行った妻とも話していたのですが、味ははっきり言って三馬力のコピーかと思うほどの豚骨ベーススープです。久しぶりに三馬力のラーメンを食べたような感じで懐かしさすら感じました。具に人参が入っているのが少し余分に感じますが、それはまあ好きずきで、とにかく味は麺とのバランスもとても良く取れていて美味しいです。

 三馬力が無くなってからと言うもの、ずっと美味しいラーメン屋がないか他人にも訊き、自分でもできる限り足を運んで食べてきたにもかかわらず結果失望感が募る一方でしたが、やっといいラーメン屋を見つけました。見つけましたと言っても、ただ単に行列だとか、イメージだとか、その友だちの評価などから今まで敢えて食べるのを避けていただけだったのですが、今日食べることができて本当に良かったです。

 妻とも「これであれこれ店を探す必要がなくなったね」といって帰ってきました。最初ラーメンを食べる気がなかった娘も私たちから少し分けたものを食べているうち「美味しくておなかが減ってきた」と言っていたくらいで、ここは本当におすすめです。また時々芦屋まで足を運ぼうと思っています。

五輪から野球が消える

2005 - 07/08 [Fri] - 11:33

 野球とソフトボールが12年の五輪競技から外れるそうだ。日本では野球が非常に人気のあるスポーツなのでがっかりする人たちが多いと思うが、世界レベルで客観的に見た場合この2種目が五輪競技から外れるのは当然としかいいようがない。

 そもそもアメリカ発祥の野球が行われている国々はほぼ環太平洋地域に限定され、それ以外の地域では全く行われていないはずだ。だから環太平洋地域で五輪が開催される際にはそれなりに観客も入るが、先日のアテネオリンピックなどのように元々野球をやっていないヨーロッパでは全然観客が入らない。それに野球を行っていない地域で五輪を開催する場合、五輪後に全く利用価値がないにもかかわらずあれだけの特殊な形をした競技場をわざわざ作らなければならない。そのせいかアテネオリンピックの野球会場など観客席は組立式ので外が透けて見えるような作りのショボイもので、いかにも五輪後にすぐ取り壊す意図がミエミエだった。

 ようするに世界的に見てあれほどポピュラーでない競技にもかかわらず、競技場の設営には手間がかかる競技など五輪種目から外れるのは当たり前なのだ。例えば柔道のように世界的に見てポピュラーでない競技であっても、競技スペースが狭くしかも設営に手間がかからなければ五輪競技に残ることはできる。しかし野球とソフトボールはあまりに競技場が特殊で、しかも設営に金と手間がかかりすぎることが最大の問題だ。またゲームをするには最低18人揃わなければならないし、グローブ、バットなどの特殊な道具も必要であるし、広い場所も必要となるのでこの数年で急速に参加国が増えるなどとは到底考えられない。更に北京はともかくヨーロッパでは全く客が集まらないので12年のロンドン五輪で競技から消えるのはどう考えても仕方がない。

 まあ野球など世界的に見れば所詮その程度の扱いのスポーツなのだから、別に五輪競技に残ることなどこだわらずワールドカップで参加したい国だけで盛り上がればよいのではないだろうか。ゴルフだって五輪競技でなくてもあれだけプロ・アマチュアを含めて盛り上がっているのだから、野球も五輪ではなくワールドカップを通じて徐々に国際競技として発展していけばよいのではないだろうか。

 とにかく今回の決定は至極順当なものだと個人的には思っている。

郵政民営化法案

2005 - 07/05 [Tue] - 10:44

 郵政民営化法案が衆議院を通過した。国会では様々な議論があり政府・与党からも反対票が投じられたようだが、この郵政民営化法案ほど国会と国民との意識のズレの大きい法案もないのではないだろうか。もしかすると私だけなのかもしれないが、郵政民営化法案が可決されようとどうしようと我々にとってはほとんど影響を感じることができない。むしろなぜこれ程までに民営化に国会議員が反対しているのかが理解できないほどだ。

 もちろん自民党の反対派はいわゆる郵政族議員で、既得権益を守ろうとする特定郵便局長達の票田を守る必要から反対していることくらいは誰にでも分かる。また野党は何でも与党に反対だから、野党が反対するのも分かる。しかし郵政事業が民営化されたからと言ってどの様な問題点があるのだろうか。ここが良くわからない。既得権益を失うこと以外にどの様な損失があるのだろうか。それよりもこれからの少子高齢化社会を考えるならば、公共コストは可能な限り削減し、小さな政府を目指すべきだと思うので、多少の問題があったとしてもサービス事業はできる限り民間に任せるべきだと思う。

 過疎地でのサービス悪化を問題点として挙げる向きがあるが、郵便事業にかかわらず全てのサービスは過疎地と都会では全くレベルが違う。今でも相当な離島とかでない限り宅配便でも超過料金無しで荷物を過疎地に運ぶことはできる。だから全国一律のサービス提供の確保を郵政事業の維持の理由として挙げるにはいささか弱い気がする。

 反対派はいつでも「国民の不利益」を理由に挙げるが、本当は自分たちの地盤が崩壊してしまうことが最大の理由だろう。それをなぜニュースでそこを深く解説しないのか不思議でしょうがないが、自民党の議員など自分たちの損得計算が恐ろしく速い連中だ。私も含めて国民の多くは郵政民営化に対して反対でも賛成でもない、いわゆる無関心層がほとんどなのではないだろうか。にもかかわらず国会でこれだけ荒れていることにこそ問題の本質があるのではないだろうか。つまり民営化法案そのものの内容はそれ程問題ではなく、単に政治家の利益の争いになっているからこそ国民と国会の意識のズレがこれ程大きいのではないだろうか。

抹茶を点てる

2005 - 07/05 [Tue] - 09:36

 最近抹茶を始めだした。といっても横着な私だから作法をマスターする気は全くない。お茶を本格的にしている人たちからすれば作法のないところに美味しいお茶などはいるはずがない、といってバカにされるのかも知れないが、私は単に美味しいお茶が飲みたいだけなのだ。

 私はコーヒーが全く飲めない。少しくらいなら大丈夫だが、質の良いコーヒーをカップ一杯飲むともうその日一日具合がすこぶる悪い。これはもう相性としかいいようがないのだろう。その代わりといっては何だが日本茶がとても好きなのだ。私は常々喫茶店で飲むコーヒーには高いお金を払い、また自分で入れるときにも入れ方にこだわりをもってコーヒーを作るのに、なぜ日本茶に全く無頓着なのか不思議でしょうがなかった。私がコーヒーを飲めないからとりわけそう感じるのかも知れないが、多くの日本人のお茶への無頓着さは悲しいほどだった。

 それではなぜ私がお茶が好きなのか、といえばもちろん美味しいから飲んでいるのが最大の理由だ。それからあまり多くの方は経験がないのかも知れないが、私の場合20年ほど前に死んだ母方の祖父がお茶が好きで、その祖父が一度だけ入れてくれた玉露を飲んで感動したこともきっかけとしては大きい。もし最高に美味しい玉露を上手に入れてくれたものを飲めば、きっと多くの人も日本茶に対する考えが変わるかも知れない。ただし高級な玉露は値段がコーヒーの比ではないのでなかなか飲むことができないのだ。

 まあそういうきっかけで日本茶が好きなのだが、最近やり始めたのは煎茶ではなく抹茶だ。10日ほど前にふと思いついて始めることになったが、特に理由はない。ただ美味しい抹茶が飲みたくなったのがその理由だ。その話をすると母が茶道具を一式送ってくれた。おかげでとりあえず一通りの道具を使って入れることができる。

 何しろお茶の点て方についてほとんど知識がない状態だったので、インターネットなどで何とかかんとか知識を仕入れてやっている。今まであまりいいお茶が入らなかったが今日は結構美味しかった。苦みもなく甘くクリーミーにたてることができた。まあまだまだ試行錯誤を続けて美味しいお茶が常に点てられるようにしたいものだ。

 だが煎茶もコーヒーも一緒だが、この手のたぐいのものにはポイントがある。とにかくお茶そのものが良くなければ技術ではいかんともしがたいということだ。安い抹茶を使っていたのでは絶対に美味しいお茶は入らない。これが実は最大の悩みかも知れない。

アフリカ支援の意義

2005 - 07/05 [Tue] - 02:18

アフリカ支援の国際会議やらミュージシャンによる募金集めのためのライヴなどが開かれている。アフリカは確かに飢餓や病気に苦しんでいる。それを経済的に恵まれた他の国々の人々が善意で助けようとすることには価値があるのかも知れない。私もかつてはそういう募金に寄附をしたこともある。ただ激しい批判を承知で暴論を吐かせていただくならば、「アフリカに寄附をしたって何の意味もない!」ということです。

 確かに募金をすれば死なないですむ子供達の命を救うことができるでしょう。食料を援助することもできるでしょう。だけどその効果はいつまで続くのでしょうか?私たちが寄附して幾人かの命を仮に救うことができたとしましょう。しかしあれだけ爆発的に人口が増えている場所に、あれだけ爆発的に飢餓や病気に苦しむ人々が増え続けているのです。我々が一時的に寄附を行って、一時的にアフリカの人たちの命を救ったとしても何の根本的解決にならないのです。寄附で救うということが恒常化してしまったらアフリカは他国からの寄附が途切れたらもっとひどい状況になります。また寄附で助けられることにアフリカの人たちが慣れてしまったら自助努力を全く行わなくなる危険性すら有ります。

 しかしながら例え当座しか効果がないといっても、寄附により苦しんでいる人たちを助けることには意義を見いだすこともあるでしょう。しかしこれは暴論ですが、それは所詮寄附を行っている側の偽善、自己満足に他ならないと言えるのではないでしょうか。「良いことをしている」「困っている人を助けてあげている」という上から見た姿勢で下にいる人たちに一時期だけの食料をまかなってあげる自分に酔いしれている・・、そんな感じがします。

 アフリカに寄附を行うということは震災後のスマトラや新潟や神戸に寄附を行うのとは全く意味が違うのです。スマトラや新潟への寄附は「元の状態に戻すための支援」をしているのです。ですから元に戻ればそれ以上寄附を行う必要もないのです。ところがアフリカへの寄附は単なる「一時しのぎ」以外の何物でもないのです。「困っている人たちが可愛そう」という同情だけで寄附をしても、悲しいかな結局何の解決にもならない寄附や支援なのです。それは北朝鮮への食料支援と全く同じ問題をはらんでいます。

 ではどうすればよいのか。とにかく寄附や慈善でアフリカの人々を救い続けても際限がありません。少しくらいのお金で数日間生き延びることができたとしても全体としては大した救助にはなりません。結局のところアフリカ自身が自分達の力で貧困や飢えの問題を克服しようと自助努力しないことには永久にこの問題は解決されません。先進国にいるお金持ちの自己満足による寄附をいくらしたってアフリカは少しも良くなりません。

 残念ですがアフリカ自身がそこに気が付いて自分達で努力するしか道はありません。冷たいようですがそれしかアフリカ自身の悲惨な状況を改善する方法はありません。死者が増加する状況が改善されることはないかも知れません。しかしこのアフリカの状況は人為的に助けられるレベルではないように感じています。つまり大いなる自然の摂理に従って、人知を超えた世界の力によって収れんするまでひたすら待つしかないのではないかと感じるのです。状況が良くなるのはそれから後の話です。

 寄附をしたって寄附に頼る弱いやる気のない人たちを結果的に増やすだけで、現在のアフリカの状況を人の力によって変える為には善意だけではない莫大なエネルギーがなければ無理ではないかと思います。それは「侵略」「支配」という言葉で表現されるのかも知れませんが。北朝鮮の場合は「革命」「崩壊」「外圧」というエネルギーによるのかも知れません。

長嶋復帰とは・・、トホホ。

2005 - 07/03 [Sun] - 11:25

長嶋茂雄が元気な姿を東京ドームに見せたそうだ。「そうだ」というのも私はテレビで見てもいないし、長嶋の姿を別に見たいと思わなかったからだ。よくよく考えたら変な話で、今まである元監督、あるいは元名選手が病気療養から返ってきて球場に足を運んだくらいでニュースになることなどあっただろうか?別の見方をすればそれだけ長嶋には人気があるということになるのかも知れないが、しかし本当にそれほど騒ぐことのことだったのだろうか?

 私は現役時代の長嶋が別に嫌いだったわけではないが、それにしても私にとってはたかが一人の元プロ野球選手だ。私より上の世代の人たちのように長嶋に対する特別な思い入れなどない。多分現在では多くの人たちにとっても同じようなものだろう。ましてや今のようにプロ野球人気が下火で、セパ交流試合が行われているような時代にあって、完全に前時代の人が病気療養から回復しただけの話である。

 とにかく何よりもこのたびの長嶋復帰の話題にあまり触れたくないのは、長嶋個人が病気から回復したという喜ばしい事実そのものよりも、そんな状態である長嶋を巨人の人気回復のため、あるいは自身の地位保全のため、はたまた視聴率回復のために利用しようとしている巨人軍、ナベツネ、長島一茂、そして読売新聞と日本テレビの欲深さが透けて見えるからなのだ。

 こんな病み上がりの人間を人前に晒してまで自分達の利益を得ようとするその嫌らしさ。しかも今からの新しい人を発掘して新しい時代を開拓していくのではなく、長嶋という過去の人、既存の人気に頼ろうとする後ろ向きの考え方。それはまさに旬を過ぎた有名選手を金で買い集めてくるだけの巨人軍の経営姿勢そのものと全く同じだ。

 そういう巨人軍、読売グループの姿勢が世間から嫌われているからこそ巨人の試合の視聴率が低下しているにもかかわらず、そのような根本的な問題の改善には一切手をつけず、長嶋復帰という最も安易な方法で人気回復を試みようとする感覚のズレ。もはや巨人軍と読売グループに世間の空気を読む能力はないにもかかわらず、彼らは今まで何十年変わることのなかった強引さで再び自分達を時代の中心に据えようとしている。

 一番気の毒なのは病み上がりにもかかわらず客寄せパンダ役を引き受けている長嶋本人か。あれほどの重病人にこんな役をさせるくらいだから、次のシナリオは大体見えているような気がする。堀内でこれほどダメなのだから、アイデアが貧困な読売グループは次の一手として長嶋の現場復帰しか考えていないだろう。お飾り監督として長嶋をベンチに入れて実質的に中畑に監督をさせ一茂をコーチに取り入るか、あるいは東京ドームに毎日足を運ばせてそれをテレビで放送するくらいか。あるいは毎試合解説をさせるか。

 まあいずれにしても長嶋が可愛そうで仕方がない。しかもファンが本当に興味のある「質の良い野球」とはどんどん離れていくアイデアばかりだ。多くのプロ野球ファンはいまさら長嶋復帰など望んでいないだろう。なぜならセパ交流試合を見て、日本のプロ野球にも組合せによって十分面白いカードがあることに気が付いたからだ。読売グループが巨人の人気回復にかなりの危機感を抱いていることは手に取るように分かるが、持っているアイデアがあまりに貧困すぎる。その諸悪の根元はナベツネだ。いつまで読売グループと巨人はナベツネに頼ろうとしているのだ?もうこれほど世間とナベツネの考え方がずれてきているのに?

 一説に依ればナベツネは長嶋を利用して新リーグを立ち上げようとしているのだとか。どこまで日本の野球界を自分達の利益の為だけに利用すれば気が済むのか。誰かナベツネを止めることはできないのか?こいつのせいで日本のプロ野球の魅力なくなってしまっているのに

税理士報酬の本質とは?

2005 - 07/03 [Sun] - 01:27

 今は不況であるせいか我々税理士業界も顧問料の引き下げ依頼が多くなってきた。もちろんこのような状況であることは我々だって十分理解しているし、顧問先あっての我々だからできる限り協力はしなければならないと思っている。しかし度を過ぎた値下げ要求にはどのように対応するべきか。この点について私は次のような考えを持っている。

 まず第一に我々が顧問先のために時間をかけて仕事をしているということを先方に理解させることだ。当然手間をかけて仕事をしているということに対価を支払わなければならないことは商業活動をしている人であれば誰でも理解できるはずだ。こちらに手間がかかっているのにそれを無視した値下げ要求をしてくるのであれば、一度その顧問先に「じゃあ私たちがしているこの作業をもしあなたが引き受けるとしたらどれほどの料金を請求しますか?まさかタダ働きというわけにはいかないでしょう?」と聞いてみればよい。もし先方がこちらをバカにするくらい安い料金を答えてきたら、「その料金でご自分が仕事をお引き受けになるのでしたら、私たちに頼むよりご自分でなさった方が安上がりですよ。」と言って断ればよい。

 そもそも自分が手間をかけたことに対して料金を請求しないのであれば、仕入れた商品を仕入れ値と同じ金額で売ればよい。自分が仕入れた商品に手間賃を乗せて売りたいのであれば、自分がお金を払う相手にもいくらか儲けさせてやるのが商人としてのマナーだ。そんな商人の基本すら実行しようとしない顧問先は相手にする必要がない。そんな顧問先とはこれから先無理して付き合っていってもロクなことはない。

 無料の記帳相談や所得税の確定申告期に無料申告相談をしているとよく分かることだが、世の中には税理士を必要としない程度の商売しかしていない人、あるいは税理士にビタ一文払うつもりのない人が沢山いることがよく分かる。私自身はそういう考えを持っている人が世の中にいても当然だと思っている。税理士に頼むお金が惜しいと考えるのであれば自分ですればよい。しかしだからといって我々の仕事が世の中で不要なのかと考えることは大きな間違いだ。

 先ほどの話のように、自分で記帳や申告業務を全部する知識や時間がない人たちや、経理担当者を雇う余裕がない人たちはは税理士という専門家に外注(アウトソーシング)するほうが結果的に得だと私は考えている。例え記帳と申告だけで年間30万円払っているとしても、その記帳と申告をする為だけに従業員を雇うことを考えれば、税理士という専門家に年間30万円支払うことはそれほど高くないことに気が付くはずだ。30万円といえばどれほど給料の安い従業員だとしても1-2ヶ月分の給料にしかならないだろう。言い換えればたった1-2ヶ月分の給料を払って会計と税務の専門家を雇っていると考えれば決して高い料金ではないはずだ。

 しかも我々は専門家としての知識があり、様々な場面で顧問先に有益なアドバイスをすることができる。節税策や経営対策等のコンサルティングについて良いアドバイスを行うこともあるだろう。そうであれば単純な記帳、申告業務に関する報酬以外にもこれらの「有益な知識」に対して顧問先が料金を支払うのは当然だろう。なぜなら我々はそのような知識を身につけるために専門学校に通って勉強をしたり、本を読んだり、実務で研究を重ねてきたりしているからだ。つまりこれらの専門知識を身につけるために我々はお金を払っているからだ。

 我々税理士もそうだが、弁護士、医師と言った知識とノウハウを売り物している業種の人間にとって、こちらがお金をかけて身につけた知識をタダ取りされたのではたまったものではない。だから専門知識にお金を払うつもりがない顧客に対してこちらが値下げをする必要など一つもないのだ。また無料相談に来るような人たちにこちらが必要以上にアドバイスを行う必要はない。もし専門知識をタダ取りしたいと考えているのであれば、その顧客が自分で本を読んだりインターネットで調べたり、そういう素人専門家の友人を捜して相談すればよいのだ。しかし一つの問題に対して素人である顧客自身がそういう過程を経て答えを見つけるのにどれほど時間がかかるだろう。結局専門家の答えをタダで手に入れることなど虫が良い話なのだ。

 我々の料金の本質は手間と専門知識だ。記帳にかかる手間はパソコンを使って自計することにより以前よりずっと減ってきているだろう。だからその面での顧問料アップはほとんど望むことはできない。しかし我々サイドでも記帳にかかる手間が減るわけだから収入減になってもある意味相殺される。そうなると残るのは専門知識だ。つまりこれからの時代は我々の報酬の中に我々の持っている専門知識が反映される比率は必然的に高まってしまうのだ。

 そうであれば報酬総額を上げていくためにはどのようにすべきか、という答えはほぼ見えてくるのではないだろうか。記帳業務と申告書作成業務だけを報酬の中心に据えてきた税理士事務所の経営がこれから悪化していくのは必然である。しかし医者や弁護士がそうであるように、専門知識に対する値段というものはこれからもそうそう安くなっていくものではない。税理士にとって最強の商品は「手間をかけた高度な専門知識」なのだ。知識を商品にするのであれば必要以上にあくせくする必要もないし、知識のレベルによっては無限に料金をつけることが可能だ。ただしこのようなビジネスモデルを実現させるためには高度な専門知識に対して沢山のお金を払ってくれる顧問先を確保しなければならない。また税理士自身も相当レベルアップさせなければならない。実はそれが別の戦略ポイントとなる。

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当ブログにお越しいただきありがとうございます、税理士のもりりです。のんびりと、時々辛辣に日々感じたいろいろなことを自由に書いていきたいと思います。

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