税理士もりりのひとりごと

税理士もりりがぶつぶつと日ごろの出来事についてひとりごとを綴っていきます





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アスベストによる健康被害

2005 - 06/30 [Thu] - 11:59

 今朝のニュースを見ていますと、クボタの尼崎工場でアスベストを原因とした死者が多数出ていたとのこと。恐ろしい話です。何しろ昔はこんな便利な素材はないと言うことで様々な所に使われていました。私たちが子供の頃には理科の実験にもごく当たり前のように使っていましたよね。

 もちろんアスベストに肺ガンなどの原因となる発ガン物質が含まれていることは比較的良く知られていました。しかしアスベストはあまりに多くの場所で使用されていたことが大きな問題なのです。今回明らかになったクボタの工場の問題でも、潜伏期間は30年以上ということでずっとずっと前の話が今頃になって問題になってきているのです。

 そして私は個人的に凄く心配なことをふと思い出しました。私は阪神大震災の頃はまだ会社員をしていたのですが、私が勤めていた会社は地震によって相当なダメージを受け、明治時代から操業していた工場が破壊されてしまいました。そしてその工場を壊している横を通ったときのことです。壊されている建物を何気なく見ますと明らかに大量のアスベストが使用されていたことが判りました。「こりゃ、まずい」と思って、それ以降私はその解体現場の横を通る際には必ず防塵マスクをするように心がけていたのですが、どれほど多くの社員がその横をマスク無しで通っていることか。さらにはその解体現場で作業をしている社員や外注業者もいます。

 さすがに気になったので、私は当時の労働組合の書記長に「あの建物にはアスベストがいっぱい使われていますから、マスクぐらい着用するように注意を喚起させないとまずいですよ」と伝えたことがあります。そう、もう薄々おわかりだと思いますが私が今日のニュースで気になったことは将来の神戸の話なのです。もちろん住宅地などでは大した問題にはならないかもしれませんが、そこそこ年数が経っていた工場が壊れた地域に住んでいた人たち、或いはその社員や解体に携わっていた建設関係者などがあと20年後くらいにバタバタと肺ガンなどに罹ってしまうのではないかということが心配なのです。

 何しろ潜伏期間が30年から50年といわれるアスベストです。それこそ忘れた頃に発病するわけですが、神戸のケースについていえばかなり可能性が高いのではないかと思います。何せ百万都市をゼロから一気に作り直したような過程を経ているのですから、アスベストの飛散など誰も気にせずに作業をしていたのです。私の心配が杞憂に終わればそれに越したことはありませんが、今日のニュースは少し気になるものでした。

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クールビズ採用!

2005 - 06/29 [Wed] - 12:13

今年の夏は私にとって待ちに待った社会環境になることになった。それはズバリ、夏の男の軽装「クールビズ」だ。このネーミングの善し悪しはともかく、夏の軽装は私が待ちこがれていたことだった。おかげで私は6月1日から2日までは上着無し、ネクタイありで対応していたが、税務署がノーネクタイであることを知ってから翌日からノーネクタイでずっと仕事を行っている。私の親方や他の同僚はネクタイを締めているが、私はかねてより「夏にノーネクタイの環境が整えば、私は絶対にノータイで仕事をしたい!」とかねがね言い続けていたので職場で唯一のクールビズを実行している。

 何しろ私は日本の夏社会にネクタイは不要であるとずっと考えていた。なぜこれ程までに暑い環境で苦痛を感じてまでネクタイ着用、さらには上着着用をする必要があるのか全く理解できなかった。私は駆け出しのサラリーマン時代会社の購買部にいた。購買部と言っても学校の購買部ではなく(当時良くそういう質問を受けた)、いわゆる買い付け担当部署にいたわけだ。だから私の部署にはいつも恭しく訪ねてくるベテラン営業マンが来ていたのだが、彼らは真夏でも必ず背広の上下を着ていた。しかし当時私がいた職場の夏の暑さは半端ではなかった。何しろ購買部がある部屋の横には壁を隔てて工場があり、しかも思い切り熱を使う工程だった。従って夏の温度は常時軽く30度を越え、しかも私が会社に入った当時は会社が不況だったこともあって7月10日くらいまで冷房を入れることが出来ない状況だった。

 ある時私が仕事をしているとポタポタと自分が書いている書物の上に汗が落ちてきた。そのとき私は心から「こんな暑い中仕事を行うのは不快感のせいで業務効率が落ちる。この暑い環境で光熱費の節減目的で冷房をつけないと、業務能率が低下して結局は光熱費の節約以上の損失になるはずだ」と考えていた。しかしその状況に於いても訪ねてくる営業マン達はきちっとスーツを着ているのだ。そこでまた私は「なぜあなた達はスーツを着てくるのだ。この暑い中誰も上着を着てこなくても迎える方も全然失礼などと思わないぞ。少なくとも私は絶対に思わない。むしろその暑苦しいスーツ姿を見る方が余程不快だ。」と思っていた。

 そういう私だからこのたびのクールビズは大歓迎だった。今までも県庁などでは夏のノーネクタイが浸透していたため以前から彼らのノーネクタイ姿はよく見かけていた。昨年はさらに役所関係者は夏はノーネクタイであるべし、というお達しが徹底し多くの役所関係者はノーネクタイだったが、肝心の税務署がネクタイ姿では我々もネクタイを取るわけにはいかなかった。昨年私は税務署の方になぜ税務署はノーネクタイでないのか質問をしたことがあるのだが、そのときの答えは「私たちは自分たちを歓迎しない人たちの所にも訪問しないといけないので、せめてカッコくらいはきちんとしておく必要があるんです。」だった。だから当然今年も税務署だけはネクタイをしているだろうと思っていたわけだ。

 ところがふたを開けてみればあっさりクールビズ。やはり首相自らが率先しているからには効果がある。かくして私も軽装の恩恵を受ける心の踏ん切りがついたわけだ。これは誠に有り難い話で、職場でも通勤でも楽なことこの上ない。最初のうちはただ単に普通のシャツをノーネクタイで着ていたが、やはりどうにもそれでは色気がないので、白地にストライプが入ったノータイ用のシャツをいくつか買った。その方がやはりクールビズには似合うような気がする。

 私の周りではまだまだ少数派のクールビズだが、気にせず私はこの姿を維持し、少しずつでも私の周りの人たちが軽装になっていくことを期待したい。もちろん私は客先に行くときもノータイで通している。お客さんの中には私の姿を不快に感じる人もいるかもしれないが、「もりりはこんなもんだ」とか「結構クールビズもかっこいいじゃないか」と思ってくれることを心の中では期待している。だからこそノータイでも見栄えの良い着こなしをすることが世の中にクールビズを定着させる最大の要因だと私自身は思っている。

 皆さんもクールビズを実行していますか。だらしがない、とか格好悪いなどと言わずに是非ノータイを実行してみてはどうでしょう。想像以上に動きが楽になり、そして新たなファッションの刺激もあって結構楽しいものですよ。これからの夏はぜひともおしゃれなクールビズで行きましょう。

少子高齢化問題 その2

2005 - 06/26 [Sun] - 11:51

 今の社会の流れを見れば、年金問題と少子高齢化問題から従来であれば定年退職しているはずの人たちの雇用を延長する方向で物事が考えられている場合が多いように感じます。しかしそれではいつまでも若年層が豊かさを得ることはできず、富はさらに高齢者に集中してしまいます。本来生活費がそれ程必要でない高齢者に富を集中させることは望ましいことではありません。だからこそ相続時精算課税などという制度を使って高齢者から若年層への資産の移動を政策的に試みているわけですが、そのようなことを行うより社会的な富を直接若中年層に移動させる労働政策を採る方が効率的です。

 若中年層は消費も旺盛です。先ほども書きましたように不動産の下落を原因とした生活費の減少と所得配分をこれらの層に移転させることにより、これからの日本の消費を豊かにし、社会保障費用の負担にも十分耐えられる社会を作り上げることは可能だと思います。経済同友会の北城氏が述べているように、少子高齢化社会自体はそれ程大きな問題でもなく、それを改善するための外国人労働者の受入などはまさに愚の骨頂です。世代間での適切な富の分配と移転について考えることの方が大切で、人口比率が高くなるからという理由で高齢者に労働力を求めたり、経済的なプレゼンスを求めていくことは根本的に間違っていると考えています。

 人口比率の問題からこれからは高齢者の持つ政治力も高まるでしょう。ですからなかなか自分たちの持つ経済力を自分たちより下の世代に移転させることに高齢者達は同意しないかもしれません。自分たちが下の世代に負けるはずが無いというプライドを持っている高齢者も多いでしょう。しかし高齢者自身がかつてチャンスを与えられたのと同じように若中年層にもそのチャンスを与えなければならないのです。そうでないと重要な経験と適切な経済力を持つことなく若中年層は年齢を重ねていくおそれがあるのです。その事こそが将来の日本を考えた場合に最も憂慮すべきことであって、これから第一線を引いてゆったりと生活すべき高齢者に主権と労働力と経済力を保持させることは本来望ましくないのです。

 なぜ少子高齢化が進むのか、と言う根本的な原因は若年層と中年層の経済力が低いからなのです。結婚して子供ができると確実に経済力が落ちるから若い人たちは子供を持ちたくないのです。逆に言えば子供を持っても生活に困るほど生活費が落ちなければ子供を持つこと自体はそれ程問題ではないのです。そういう面からいっても若中年層に資産を分配し移転させることは将来の適切な人口を維持するためには非常に重要なポイントなのです。

 これからの日本の人口構成が今までの世界の歴史の中でも非常に特異なものであるため社会に不安があるのは確かです。しかしその混乱で長期的視野に立って政策を行うことや将来の世代に希望を与えることを誤ってはなりません。高齢者の経験は確かに価値がありますが、それはあくまでアドバイスレベルに留めておくべきであって社会の中心に据えるべきではありません。歴史上の全ての社会がそうであったように、あらゆる意味で社会的に中心となるべき世代は肉体的・精神的にも充実している若中年層であるべきなのです。大切なことは将来の日本が豊かになることであって、そのために短期的な視点による誤った社会労働政策を採ることは取り返しのつかないことになりかねません。

少子高齢化問題 その1

2005 - 06/26 [Sun] - 11:50

 少子高齢化について様々な意見が述べられていますが、多くの意見は悲観的な意見が多いようです。その理由は若年層が減るために労働力が減る、年金制度に関する若年層の負担が過大になる、税収が減る、等々・・。頭の良い方々が様々に研究してそのような意見を発しているわけですからそうなる可能性が高いのかもしれませんが、私は実はそれ程少子高齢化社会が悪いことだとは思っていません。

 なぜなら人口減少が進めば必ず不動産価格は下落します。とにかく現在の日本社会全体の高コストの原因は全て人口過多により不動産価格が高すぎることにあるのです。結局工場を造ればそのための不動産価格は製品原価に転嫁され、工場の従業員の家賃は給料の上昇要因になります。その製品を販売するためには同じような不動産コストが含まれて価格上昇の要因になります。なぜ不動産価格が高いのかと言えば、単純に言って需要と供給の関係から価格が高止まりしているだけなのです。言い換えれば人口が減れば必ず不動産価格は下落するはずです。

 それから年金制度についても、確かにこれからの高齢化社会においては若年層の年金原資の負担が増えるのは確実です。しかしそうであれば若年層の給料を高くしてその社会保障費の負担増に耐えられるようにすればよいのです。なぜなら日本社会全体が支払っている給与総額を将来も維持することができれば、これから労働人口が減ったとしてもその給与の配分を若中年層にシフトさせれば彼らの経済力は高まりますし、不動産価格が下落するこれからの社会においては彼らの生活レベルは給与増加の効果と相まってかなり余裕ができることとなります。その余裕で高齢者の生活支援を行えばよいのではないでしょうか。高齢者自身で高齢者の生活を支えるのではなく、高齢者の面倒は現役世代の社会保障負担で賄えるように変えればよいのです。それは年金制度の有るべき姿に戻るだけの話なのです。

 ですから大切なことは日本の経済力を現状維持させることなのです。それができれば少子高齢化社会が進んでも経済力の世代配分を適切にすれば基本的には心配することはありません。それより問題なのは少子高齢化で若年労働者が減ることを心配して高齢者が仕事を続け、そして高齢者が経済力を保持し続けることです。彼らが経済力を保持しても消費を行いませんし、少子化問題の解決にはほとんど貢献しません。さらには高齢者が若年層の労働の機会を奪い、若年層への給与分配シフトが進みません。高齢者が自分たちの生活を自分たちで維持することは一見良いことのように思えるのですが、そのようなことをすれば若年層の給与は従来よりももっと上がるペースが下がってしまいますから、社会保障費の負担や子育て費用の負担にさらに耐えられなくなります。

 もちろん長い目で見ればいくら高齢者が経済力を保持しても、その資産は相続により次の世代に引き継がれます。ですから本来相続により資産は適切に世代間で移転されるはずなのですが、数十年前と大きく違うことは多くの人が長生きできるようになったため相続開始時には既に相続人も高齢者になってしまっていることなのです。数十年前であれば高齢者の持つ資産は相続により若中年層に移転されていたのですが、現在では相続財産が高齢者同士の間で移転されることになり、若中年層への資産移転が全く行われていないのです。ですから少子高齢化問題の本当の問題は「少子」よりも「高齢化」により富が高齢者に固定されることにあるのです。

 結局これからの日本の社会を良いものにしていくためには、少子高齢化自体はそれ程問題ではありません。それよりも今までの日本社会がそうであったように、きちんと世代交代を進めていくことが大切なのです。社会全体を見れば人口が減少すれば生活にかかるコストは必ず減るはずです。そうであれば収入総額がそれ程減らなければ国全体を見た場合必ず豊かになるはずなのです。ただどの世代にその豊かさを分配していくかということが大切なのです。

「狭いナショナリズム」とは?

2005 - 06/25 [Sat] - 02:50

 先日の国会の中継を見ていますと、いつものごとく民主党の岡田代表が小泉首相の靖国参拝が中国韓国の反発を招いていると批判し、それに対し小泉首相が「私の靖国参拝が中国・韓国との関係悪化の本質的原因であると思っていない」と返しました。そして岡田代表はこの発言に対し「首相がそのようなことを言って狭いナショナリズムを国民に煽ろうとしている」言う旨の発言を行いました。

 岡田代表のこの発言は従来日本の世論において繰り返し発せられてきた、いわゆる戦後の日本全体を覆っているタブーのようなものです。とにかく日本には第二次戦争以前の歴史や思想に対する肯定的な認識は絶対に行ってはならないような風潮があるのです。これは第二次大戦後アメリカの思想統制か、日本人自身の自省によるものか、はたまた朝日新聞・旧社会党・共産党・日教組を中心とした自虐的歴史史観によるものか判りませんが、日本人には第二次戦争前の歴史や思想を全否定する考えがはびこっています。

 そして第二次大戦前の歴史・思想を全否定する代わりに、戦後の日本にはアメリカを中心とした欧米的思想、歴史観を是とする思想が持ち込まれました。つまり他国の歴史観や思想を大幅に導入した第二次大戦後の日本においては、もとよりナショナリズムなど存在していないのです。そういう意味で言えばこのたびの岡田代表の発言には大きな誤りがあるのです。つまりもとからナショナリズムが存在しない、いやナショナリズムを否定してきた戦後の日本人の思想において「狭いナショナリズム」などという表現はあり得るはずがないのです。

 海外と関わりがあった方々から見れば、日本人の自国に対する愛情のなさ、すなわちナショナリズムのなさがどれほど異様であるかは容易に理解できるでしょう。なぜ日本人はそのようになってしまったのでしょうか。そこに考えを巡らせた場合、先程述べた戦後のナショナリズム否定の思想の異常さに気がつくはずなのです。現在の日本では「ナショナリズム」や「愛国」という言葉を使う場合、即座に「戦争」や「右翼化」と結びつけられる傾向があります。しかし国際的に見た場合そのようなことは議論に登ることすらないほど「ナショナリズム」や「愛国」は当たり前のこととして捉えられています。つまり戦後の日本人に植え付けられた「ナショナリズム」と「愛国」と言う単語に対する異常なまでの拒絶感は一種異様なほどなのです。

 そこで話を元に戻しますが、日本国民の多くがナショナリズムや愛国心を持っていない現状において「狭い」ナショナリズムを煽るも何もないわけです。つまり現在の日本国民は「狭い」愛国心も「広い」愛国心も持ち合わせていないのですから「狭い」ナショナリズムなど存在すらしていないのです。現在教育改革において適切な愛国心を育もうとしていますが、つまりまずは本来国に属する個人が当然持つべき愛国心を今から国民に教えようとしている段階においてはナショナリズムの「狭い」「広い」よりも、まず愛国心、ナショナリズムを持つことが大切なのです。その上において国民それぞれがナショナリズムや愛国心について考え、自分なりのナショナリズムを有して初めてそのナショナリズムが「狭い」か「広い」かが判るようになるのです。つまり日頃から貧しい食べ物ばかり食べている人に高級料理の美味しい・不味いが判らないのと一緒で、日頃からナショナリズムについて慣れ親しむ土壌ができて初めて正しいナショナリズムに関する議論が可能になるのです。

 岡田代表の発言を聞いていても、まるでナショナリズムを持つことが悪であるかのような印象を持たれる方も多いと思いますが、本来日本以外の万国共通認識としてナショナリズムを持つことは正しい考え方です。ナショナリズムを否定している国など恐らく日本だけでしょう。なぜならナショナリズムとは、日本人が日本で生まれ育ったことを幸せに思い、そして自分が生まれ育った日本を好きと言い、日本人であることに誇りを持つことなのです。そう考えることの何処に危ない思想が含まれているでしょうか。むしろナショナリズムを持っていない国民がいることの方が本来「変わっている」と思われる方が自然でしょう。

 ナショナリズムが「右翼化」や「戦争」と結びついた場合、初めてそのナショナリズムは「狭い」という表現を使うことができるのです。ナショナリズムを持っていない現在の日本国民にとっては「狭い」ナショナリズムは存在しません。とにかく今の日本人に大切なことはどの様な形であれ国民それぞれが自分自身のナショナリズムを持つことなのです。そしてナショナリズムに関する本当の意味での議論ができる基礎ができた状態になって、望ましいナショナリズムについて議論し、「狭い」ナショナリズムについて批判をしていけばよいのです。

 そう意味でこのたびの岡田代表の発言は全く的を得ていない発言と言わざるを得ないでしょう。

ジーコで大丈夫!

2005 - 06/24 [Fri] - 12:53

 ジーコジャパン、なかなかやるものです。私は昔からのジーコファンですからジーコが率いる日本代表が頑張ってくれるのはうれしい限りです。しかしちょっと前にはジーコ解任を求めてデモまでしたという、信じられない出来事までありました。

 我々40歳前後の連中にとってはジーコは本当に神様なのです。その神様が日本代表の監督をしてくれている。例え今まで監督の経験がなかったとはいえ、それでもジーコは神様なのです。そのジーコの解任を求めてデモを行うなど私たちにとっては、一体何を考えているんだお前らは、という世界なのです。

 確かにジーコの頑なな姿勢は最近やや無くなってきましたが、それでも現役時代、監督就任直後から一貫して守り続けている「気持ちの強さ」を強調する姿勢は全く変わっていません。何しろ現役時代にはあれほど偉大なプレーヤーだった人なのです。トルシエのような超二流選手ではないのです。ですからジーコが持っている経験、思想、技術、人脈などに関して言えば、日本の誰一人として経験したことがない世界なのです。だからこそジーコの伝えたい内容がなかなか選手やスタッフに理解できないのかもしれません。そこで様々な軋轢が生じたのかもしれません。

 しかし今までの日本代表の戦い振りを見ていれば、着実にジーコが教えてきたことが浸透してきていることが判ります。日本代表は思考過程の段階からしてまだまだジーコから学ぶべきことがあるのです。技術や戦略について言えばこれから身に付けなければならないことも数多くあるはずです。

 だから少しくらい成績が悪くなったからと言って、監督解任など軽々しく口にする必要など無いのではないでしょうか。ジーコという偉大な人物をサッカー後進国である日本が代表監督として招いたのです。その彼を信じて、彼に全てを任せてみたらどうでしょうか。事実日本代表のひるまないで戦う姿勢は、ジーコが監督になって教え、選手を選び、そして彼の人脈と顔を使ってセットされた海外代表チームとの交流試合があったからなのです。

 先日のワールドカップ予選通過の経緯を見ても、今回のコンフェデを見ても、ずいぶん日本代表は良くなっているじゃないですか。だからこそジーコでドイツも大丈夫です。大丈夫でないとすればそれはジーコの思想を十分咀嚼できていない日本選手の姿勢に問題があるのではないでしょうか。

 大丈夫、安心してワールドカップはジーコに任せましょう。何も心配することなどありません。我々はジーコを信じてジーコが作るチームが一番なのだと信じていけばよいのです。「神様」に辞任を求めるなど全くもって言語道断です。

税制改正と税理士

2005 - 06/21 [Tue] - 11:36

 つい先日今年の税法改正が決まったばかりだというのに、もう来年以降の税制改正が話題に上っています。最近のニュースを見ていますと刺激的な改正案ばかりで、住民税の源泉化だとか、給与所得控除の縮小、配偶者控除や扶養控除の縮小など様々な増税案が並び立てられています。

 こういう話題が表に出るたびにいつも私は税理士として疑問に感じることがあります。こういう改正案はいつも学者さんや財務省の役人たちで話が決まってしまうんですね。いつも「税の専門家」と呼ばれているはずの税理士はここでどのような働きをしているのでしょう?実はは何もしていないんですね。

 「税の専門家」であるはずの税理士が税制改正論議に全く参加していない、いやもちろん日税連会長は政府税調に参加していますが、全く表に出てこないのはどういうことなのでしょうか。今日もニュースを見ていますと「専門家」として大学の先生がコメントしていました。「おいおい、税の専門家は税理士だろ?税理士の意見を聞けよ!」とついついテレビに突っ込んでしまいましたが、全くどうなってるんでしょうか。

 いえ、もちろん私も分かってますよ。「税の専門家」と言っても税理士はあくまで申告業務を行う専門家なのであって、「日本国全体を見て税制をどのように変えるべきか」という非常に壮大な税の分野に関する専門家なのではないことくらいは。そういう分野に関しては税理士などというミクロの世界で働いている連中よりも、官僚という立場からマクロで税を捉えている財務省官僚やOBの方が専門家であることは間違いないわけです。

 しかし、ですよ。それじゃ税理士は申告だけを行う代行屋なのか、と言われるとそれはあまりに寂しい話なのではないでしょうか。税理士は多分誰よりも納税者の立場に立って税のあり方を見つめてきている専門家です。納税者の代理で申告書を書ける職業は税理士だけなのです。確かにマクロの難しいことは理解できていないかも知れませんが、そのマクロのことが分かっている偉い方々が作った税法を実際に施行した際に最も納税者の立場で物事を考えることができるのは税理士だけなのです。だから税理士は納税者の代理として立法の際に意見を述べることは十分にできるのです。

 そういう意味で言えば、もっと税理士は税制を変える際には意見を述べるようにしなければなりません。納税者側からの今回の増税に対する意見として私が言うならば、「増税するのであれば、増税する必要性を具体的に庶民に分かるように説明する義務が立法側にはある」と言うことでしょうか。

 財政が逼迫しているのであれば増税は仕方ないかも知れません。しかし税金が無駄に使われていないのか、増税しなくてもやっていく方法は他にもあるのではないか、と言う議論と明確な証拠の検証が事前に十分行われ、その上で納税者側から見ても増税やむなしと同意されて初めて増税が実現されるべきではないかと思うのです。しかしその役割を国会議員の先生や官僚たちに求めても無駄です。なぜなら彼らは所詮税金から給料をもらっている、あるいは税金をくすねて懐を暖かくしているような人たちばかりで、増税に反対することなど絶対に考えられない立場の人たちだからなのです。

 しかし税理士は税金から給料をもらっていません。我々の収入は全て顧客である納税者からもらっているものです。ですからもとより増税だけの増税案に賛成する義理はありませんし、できれば減税をして欲しいという考えを持っています(税務署OBの税理士はどういう考えを持っているか私は知りませんが)。そういう意味で言えば、税金の細かい使途のチェックや増税論議の是非については税理士がもっと大きな役割を果たすべきではないでしょうか。

 税理士には自分達寄りの国会議員を支援する「税政連」と言うある種の圧力団体が存在していますが、力は驚くほど小さく、また所詮国会議員に依頼して自分たちの意見を通そうとしているのですから、まあ税理士制度の保持以外の結果は知れています。そうではなく税理士自身が税の使い方や税制改正に対して直接大きな力を持てるようにすることが望ましいのではないでしょうか。

 そのためには税理士個人個人がもっともっと税や税制について勉強し、ことあるごとにレベルの高い意見が述べることができる必要があるように感じています。つまり税制論議がマスコミで取りざたされた際に、大学の先生よりもまず税理士にインタビューが来るくらいに。それが本当の意味での税理士制度の発展維持、そして税理士の地位向上につながるのではないでしょうか。

税理士は儲からない?

2005 - 06/19 [Sun] - 01:01

 最近、結構儲けてそうな税理士達と話す機会が増えてきたのですが、その中で最近よく聞くのがやはり「このままでは税理士業は儲からないのでは?」ということですね。まあその事については私がこの仕事を始めてからずっと感じてきたことですが、端的に言ってその理由は「今の」税理士業務が世間一般から見てあまりに時代遅れだったからです。また「時代遅れで何が悪い」という開き直った感覚を税理士事務所の経営者と職員の多くが持っていることがさらにその事に拍車をかけています。

 何しろ税理士事務所という所は、本来最新税法等に基づいて税務を処理し、最新の会計技術を使って会計を管理していくべきなのですが、あまりに少人数で行っている事務所ばかりであるためそのあたりで大きく遅れているいるのが実態なのです。特に実務を従業員のみに任せ、しかも従業員が歳を取っていて勉強もしていないような事務所では完全に時代遅れになってしまいます。かくいう私が勤めている事務所も、就職した当初はあまりに世間とずれた仕事の進め方だったのでとても驚いたものです。

 さすがにコンピュータ処理は行っていましたが、当然ながらのオフコン処理。パソコンなど事務所になく、手書きの試算表からの決算処理、集計表も全て手書きという有様でした。世間では既に社員一人一台のパソコン所有が当たり前となっていた当時において、会計事務所のために作られたような表計算ソフトですら利用していない会計事務所が存在していること自体不思議でしょうがありませんでした。その事を以前の同僚に話したところ大いに笑われたものです。

 しかし世間の仕事のやり方を全く知る術もない中小の会計事務所職員に業務の改善を行おうという意識など全くなく、世間一般の業務の進め方とどんどんずれていくのはある意味仕方がないことだったのです。しかしちょうど中小でもIT化の波にさらされてきたこの数年間、そのままの姿で会計事務所が残ることはもはや許されなくなってしまったのです。何しろパソコンと安い会計ソフトを使えば今まで会計事務所に払っていた報酬より遥に安いコストで、しかも即時的に記帳ができる時代なのです。その時代に今まで通り記帳業務を収益の柱に据えようとする事務所の経営が悪化するのは当然です。

 最初の税理士同士の話にあったように、戦後50年近く全く変わることの無かった仕事の流れがこの数年間のIT化の流れで激変してしまったわけですから、今まで通りの業務で商売しようとしている事務所が儲からなくなるのは当たり前なのです。でも私はそうであるからこそ今から税理士業にはチャンスが転がっていると考えています。結局変化を肯定的にとらえるか、否定的にとらえるかの違いで成功できるかどうかがかかっていると思います。当然今までの業務と同じでは儲かりません。それは間違いないことなのですが、代わりに何を収益の柱にしていくかがそれぞれの事務所の大切なポイントとなります。

 私自身がどのように税理士業務を展開させていくのか、ということについていえば、手間がかかる割に利幅の少ない記帳業務はできる限り顧問先自身で処理していただくこととして(自計化すらやる気のない会社が今後業績を好転させて、会計事務所に多額の報酬を支払うことなど到底考えられません)、税務経営に関するコンサルティング、しかもできる限りレベルの高いコンサルティングを行って相当の報酬をもらえるように持っていくのが理想です。そのためにはレベルの高い仕事ができるように勉強と経験を重ねていかなければなりませんが、それが本来在るべき「税理士業務」なのではないかと思っています。
 
 とにかくどのような業務であっても自らの提供するサービスにどれだけ高い付加価値を付けることができるのかが存亡を左右するのです。記帳業務を割安で請け負うことで存亡を計ることは当座は成功するかもしれませんが、いずれ他社との価格競争で自らの首を絞めることになるでしょう。そうならないためにはどうするか。その答えはそれぞれの税理士が考えていかないとならないのではないでしょうか。

税理士試験の心構え

2005 - 06/13 [Mon] - 12:07

 今年も6月に入り税理士試験も本番がかなり近づいてきました。税理士を目指している方々にとってはこれからが本番になってきますが試験を受けるにあたって少しだけアドバイスを差し上げたいなと思います。

 勉強の内容については私からアドバイスするようなことは全くありません。なぜなら最新税法に関する試験内容についてはもう試験を終わってしまった私などよりも、実際に受験する皆さんや学校の講師の方が絶対詳しいからです。ですから私がアドバイスできることは本番を受けるにあたっての心がけについてです。

 まず一つ目は試験に合格することを不可能だと絶対に思わないことです。逆に言えば絶対に合格すると思って受けることです。確かに合格率から見れば税理士試験は簡単な試験だとは言えません。また合格レベルに達するために要求される習熟レベルもかなり高いレベルが要求されます。しかしそれでも毎年必ず合格する人たちはいるのです。税理士試験は100人受ければ85人落ちる試験です。そう考えると勉強をする気もなくなってしまうかも知れません。また自信がない科目については試験を受ける前から落ちてしまった気になるかもしれません。でも実際には総受験者の中には全く合格レベルに達していないいわゆる「冷やかし」に近い受験者も相当数含まれています。

 私の経験から言えば、税理士試験受験者のうち約半数は冷やかし受験組(あるいは受験レベルに全く達していない人たち)と思って差し支えありません。ですからもしきちんと専門学校(大原やタックなど)の一般コースに一年間通っている人たちであれば合格率はだいたい1/3くらいになると思います。つまり専門学校の一般コースの上位1/3にいればかなり合格に近いと考えて良いわけです。さらにもし上級コースに通っているのであれば、その合格率は4割程度かそれ以上だと考えて良いですから、そのあたりが合格ラインの目安となります。

 ですからそう考えれば税理士試験は決して難関な試験ではありません。きちんと一年間学校に通って努力をした人たちにとっては合格率3割から4割の試験なのです。だから皆さんの学習レベルは日々の学校での成績を基にすれば大体どのあたりか分かるはずですし、これくらいは誰でも頑張れば十分実現可能だと思います。

 もう一つ、本番の試験では絶対にあわてないことです。本番でパニックになると負けたも同然です。あのような極限状態で受ける試験に関して言えば、いかに平常心で試験を受けることができるかがもっとも大きなポイントになるのです。なぜなら受験者が全員平常心で試験を受けているのだとすれば、専門学校の模擬試験の結果通りになるはずなのです。ところが絶対にそうはなりません。それはなぜかと言えばどれほど簡単な問題であっても、本番で慌ててしまっているので多くの人たちは普段では考えられないイージーミスを犯してしまうのです。だから本番の結果を見ると大番狂わせが起きるのです。逆に言えば平常心でイージーミスを犯さず、誰もが確実に合わせそうな問題については必ず合わせていくことができればほぼ間違いなく合格できます。本番の試験では必ず一問は今まで見たこともないような問題が出題されます。そのような問題を見ると大抵慌ててしまうのですが、そのような問題は無視すれば結構です。そのような問題は端から引っかけ問題であって、そんな難しい問題ができても合否には影響しません。

 私が考えるに税理士試験の採点方法は絶対基準ではありません。つまり問題の全てに点数が割り振ってあって、各問題の正否によって得点を積み上げていく方法ではないということです。そのような採点方法にしてしまうとある年はものすごく合格者数が多く、またある年は合格者数が極端に減ってしまったりして合格者数をコントロールできません。ですからどのような採点方法なのかといえば、出題者は問題を作った時点でここは必ず合わせて欲しいというポイントをピックアップしておき、その項目についての正否を当落の基準にしていると考えられるのです。つまり難関項目を一つ答えても、多分そのような項目は誰も答えることが期待されませんのできっと採点は割り振られていないか、点数が割り振られていてもごく少ない点数であるはずです。

 しかし誰もが正解をしてきそうな項目についてはかなり大きな得点が割り振られていると考えられますので、みんなが正解しそうな項目を落とすとどんどん点数が落ちていき、逆にそういう比較的簡単な項目を確実に拾っていると点数はどんどん積み上がるわけです。そうすれば受験者をかなり大雑把に振り分けることができ、もしその結果上位十数パーセントの人たちの点数が当初の採点基準の60点に達していればそのままでよいですし、もしそうでなければ点数配分を少し変更すれば良いだけの話だからです。

 もちろんこういった採点基準に不満を感じる人もいるでしょうが、採点基準自体が公表されていませんし、またそういう調整しやすい採点方式にしないと採点者の作業があまりに膨大になってしまい、合格者数のコントロールに多大な労力が必要になってしまうので、このような採点方法にせざるを得ないのだと思います。

 そういうことで本試験においていかに平静を保ち簡単な問題を間違えずに答えることができるか、ということが大変重要になる訳なのです。何事でもそうですがいざというときに力を出せることが最も大切なことで、普段の練習でどれほど天才的な成績を収めても、本番で実力を発揮できなければ何の意味もありません。運の善し悪しなど関係ありません。心がけることは本番で自分の実力を出せることができるように心がけを準備することだけなのです。

 それから最後に、これは一年間を通じての勉強パターンについてですが、先ほどから言っているように実力を発揮させるのは8月の試験当日だけでよいのです。それまでの模擬試験や月例試験などで良い成績を収める必要はありません。ですから自分を追い込んで勉強していくのは5月以降で十分です。いやもっと言えば一通りの授業内容が終わる7月からでも良いかもしれません。私の経験から言えば7月から狂ったように勉強すれば十分合格できます。一年間集中力を持続し続けることなど絶対にできませんから、要は最後に勝つためにはどのようなペース配分で自分の勉強のピークを作り上げていくのか、ということが大切だと言うことになります。

 とにかくこの試験に関して言えば、8月の試験で勝てばよいわけです。全ての目標はそこにあるのです。ゴールを間違ってはいけません。目指すべきゴールは8月の試験に勝つこと、それだけです。そのためにどのように考え、どのように心がけ、どのようにペース配分するのか。そう考えれば思っているよりは簡単に合格が近づくのではないかと思っています。

 皆さん頑張りましょう。

2007年問題

2005 - 06/09 [Thu] - 12:02

 2007年問題というのでしょうか、団塊の世代と呼ばれている人たちの大量定年が企業に大打撃を与えるのではないか、と大きく問題視されています。しかし正直言って、「そんなこと最初から判ってただろ?何をいまさら言ってんの?」というのが私の感想です。

 私から見ればこんな問題がおこることなど企業経営者であれば判っていなければいけないこと。いや当然判っていたはずなのです。そこで何も手を打ってこなかったのはなぜか?表向きには少子化だとか、若年層の能力低下などが挙げられています。しかし本当にそれが理由でしょうか?本当はバブル期以降経営状態が悪化した企業が教育コストのかかる若手を採用せず、今会社にいる慣れ親しんだ社員だけで業務をこなすことを強力に推進したからなのです。つまり面倒なことは避けて、同世代の内輪だけで利益の効率的分配を計ったからなのです。

 そりゃあ何も知らない新人に手取り足取りお金をかけて教え込むのより、手っ取り早く金を稼いでくれそうな現存社員やヤリ手を中途採用する方が企業業績上近道でしょう。しかしそういう策を考えた人たちだって仕事が全然できないで先輩たちに迷惑をかけ、教えてもらった時代があったはずなのです。自分たちだってそうだったはずなのに、自分たちのことは棚に上げて、やれ「今時の若手は役に立たない。それなら即戦力を中途採用する」とはいささか短絡的で都合が良すぎます。

 その挙げ句の果てがこの2007年問題です。「団塊の世代が大量定年すると企業が回らなくなる。どうしたら良いんだ。年金支給の問題もあるし、定年の延長をするべきか。」というのが問題なのだそうですが、私から見れば「そんなもの若手を採用してそいつらにチャンスを与えて鍛えればいいじゃないか」というところです。「大変、大変」と声高に叫んで、自分たちの定年延長と収入確保を既成事実化させようとしているとしか思えません。自分たちだけいい目をして、若者たちにはチャンスを与えない。それは身勝手としか言いようがないでしょう。

 定年を迎えそうな人たちは必ず同じセリフを言います。「我々の仕事は我々にしかできない。若い連中には到底できる仕事ではない。」でも本当にそうでしょうか?そんなに凄い仕事を彼らはやっているのでしょうか。本当のところ彼らは大した仕事などしていないのです。試しに彼らが実際にいなくなってみればよくわかるはずですが、困るのは最初の数日間くらいなもので、すぐに組織は適応してきます。ベテランが会社からいなくなったってそんなものなのです。会社からベテランがいなくなって困ることなど本来あるはずがないし、むしろベテランがいなくなって回らないなど、ただ単にそのベテランが仕事の引継をきちんとやっていないだけなのです。定年間近な人たちが行うべきことは、自分たちの力を誇示してノウハウの伝授や引継を行わないことではなく、いかに組織に迷惑をかけないように後進を育てるか、という一点なのです。しかしそこを理解していないベテラン社員の何と多いことか。

 私の事務所にも一人だけいます、全く空気が読めていない人が。もう彼は67になろうとしていますが、全く退こうとしません。彼より後に来た人たちが皆定年で辞めていったのに、彼だけはなぜか居座っています。今の時代パソコンも使えず、事務所で一人だけ生産性の著しく低い仕事を行っていても平気なものです。コスト計算をすれば明らかに彼は給料泥棒です。かといって彼独自の優秀な税法解釈や経営策などを持ち合わせているわけでもなく、むしろ彼は私の事務所で最もものを知らない社員の一人で、彼から我々が教わることも全くありません。彼に教えてもらうくらいなら、自分で調べた方がよほど役に立つくらいです。ただ単にベテランだ、ということだけが彼の精神的な支えなのですが、後進に仕事を引き継ぐ意思など毛頭持ち合わせていません。こういう人を「困ったちゃん」というのですが、こういう人間をのさばらせていることはある意味経営者の怠慢であり、長い目で見て経営上何のメリットもありません。彼を雇っているよりも新人を育てた方がよほどコストも安いし、組織の世代交代も進むのに何なんでしょうか。

 と、愚痴をこぼすのはこれくらいにして、誰だって歳を取って第一線から退くときは来ます。今その時にいる人たちはもちろん、こうやって言っている私ももちろんいつかは退き時がやってきます。みんな順番で回っているのです。自分たちがそうなったときにあがいているように見える今の団塊の世代の行動は見苦しいとしか言いようがありません。自分たちの子供達の教育も含めて後進の育成をきちんと行ってこなかったという本質をすり替え、自分たちの社会的保身をはかろうとしているのは卑怯ですらあります。

 団塊の世代が今行うべきことは、自分たちの定年をネタに社会不安をかき立てることではなく、自分たちが大量定年しても会社や社会が滞りなく回るように人を育てることなのです。年金支給の問題は確かにあるでしょう。だから自分たちの取り分は自分たちでいくらか稼ぐべきだ、という論理も一理あるようにも思えます。しかしやはりそれも違います。本当は自分たちが取っていた多額の給料が定年でなくなった分、それを若年層の収入増に回してあげればよいのです。そして若い人たちが潤えば、公的年金や直接的な経済援助などで自分たちの生活を支えてもらうようにすればよいのです。都合良く自分たちの世代だけいつまでも仕事にしがみついて、給料まで取っていこうなどふざけているにもほどがあります。潔く社会の一線から退き、その代わり後進がたくさん稼いでくれるように一生懸命教えるのが団塊の世代が今やるべきことなのです。

 もう一度言いますが、誰もが必ず退く時を迎えるのです。団塊の世代のあなたも、40歳の私も。私は自由業ですから定年はないかも知れませんが、私だっていつか退き時が来て一線の仕事を後進に任せなければならないときは必ず来ます。それは人間である以上誰もが理解し、そう行動しなければならない真理なのです。その流れがおかしくなったとき、社会は必ず混乱します。団塊の世代の方々、どうか何も言わずにそっと引退し、そしてあなた方の子供の世代の人たちが豊かで幸せに暮らせる社会の実現に協力して下さい。お願いします。

ナベツネと長嶋の復活

2005 - 06/08 [Wed] - 11:08

 また巨人の表舞台にナベツネが戻ってくるそうだ。我々巨人ファンでない人間から見れば「いまさら、何で?」という気持ちが強いのだが、巨人ファンでも本当のところはどうなのだろう?何しろことし導入されたセパ交流試合はファンから見て本当に大成功で、何で今まで行わなかったのか不思議でしょうがないくらい魅力的な試合が多い。それをずっと止めてきたのがナベツネであり、しかもこの交流戦で巨人に対する野球ファンが感じる魅力が更に低下しているにもかかわらず、再びナベツネ登場とは。しかも長嶋復活まで予定されているそうだ。

 しかしこのセパ交流戦を見たファンはプロ野球界をおおっている新しい流れを明らかに感じているはず。つまり「巨人だけが野球の魅力ではない」と言うことを。にもかかわらず球界の盟主たる巨人は先に進むどころかナベツネ、長嶋という完全に旧時代の人たちにまだ頼ろうとしている。ハッキリ言ってオリンピックでの不甲斐なさから、私たちのような最後の長嶋世代ですらもう長嶋の時代ではないと痛感している。今の若い人たちから見れば「長嶋?誰?」というのが本音だろう。若い人たちは活躍しているところを直接見たことがない伝説のヒーローより海外や新しいチームで道を切り開いていこうとする選手にずっと魅力を感じているにちがいない。

 まあ巨人というチームの空気と時代を読む能力のなんとないこと。まるで巨大企業が超ワンマン社長のずれた経営であっという間に倒産へ向かっていくのと同じものを感じる。つまりそれは誰もトップの暴走を止めることができないことにその原因があるのだ。誰もナベツネ、そしてナベツネの大のお気に入りである長嶋のコンビを止めることができないのだ。もはや誰も彼らの復活を望んでいないのに、である。

 私は巨人ファンでないから巨人がどんどん腐っていこうと朽ち果てていこうとどうと言うことはないのだが、端から見ているとナベツネと長嶋に牛耳られている巨人が哀れに思えてくる。本当はそれを変えることができるのはファンの声と彼ら以外の内部の人間にしかできないのだが・・、よほどナベツネは怖いと見える。

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当ブログにお越しいただきありがとうございます、税理士のもりりです。のんびりと、時々辛辣に日々感じたいろいろなことを自由に書いていきたいと思います。

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